昨年10月、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、2度の脳卒中の後遺症によりピアニストとしての復帰が絶望的であると語り、世界中のファンに大きな衝撃を与えたキース・ジャレット。そのキースの代表作のひとつである『ザ・ケルン・コンサート』が、いま再び注目を集めている。録音から45年を経過しても今なおジャンルを超えて人々を魅了しつづける作品の魅力を、キース研究家でもあるジャズ評論家の杉田宏樹氏が改めて解説する。




ピアニスト、キース・ジャレットが1975年に演奏したライヴ・アルバム『ザ・ケルン・コンサート』(以下『ケルン』)が、ジャズ界を超えて再び話題を呼んでいる。生活情報誌『サライ』2021年3月号には、タレント清水ミチコが、「忘れられないこの一枚」として『ケルン』を紹介。2月10日に行われたZARDのデビュー30周年を記念した初のライヴ生配信では、ライヴ前後の蓋絵のバックに『ケルン』を使用。これはZARDの故・坂井泉水が『ケルン』を愛聴していたことを踏まえた演出だったと思われる。蓋絵と言えば、2011年の東日本大震災の直後、深夜のNHK-TVで被災状況を示す画面に、『ケルン』のフル・ヴァージョンがBGMとして選曲されたのも印象的だった。


44年間もの長きにわたるキースのソロ・コンサートの歴史から生まれた公式アルバムは、全17タイトル。その最初の記録となった『ソロ・コンサート』は、73年3月のローザンヌと同年7月のブレーメン公演を収めたもので、40分にもおよぶ長時間の連続即興演奏に加え、3枚組LPのボリュームはジャズ史上に前例がなく、世界中に衝撃を与え、称賛の嵐を巻き起こした。事前に楽曲を用意せずに、ステージでピアノと対峙することから生まれる長時間のインプロヴィゼーションという演奏スタイルが、どれほどのエネルギーを要するものなのか。コンサート会場で体験した者ならば、キースが超人的な音楽家であることを実感しているはずだ。

ではこのようなスタイルのソロ・コンサートは、いかにして生まれたのだろうか。その原点に位置付けられるのが、72年6月4日、ドイツ《ハイデルベルク・ジャズターゲ》のステージ。当日の自分自身をキースは次のように回想している。「自作曲と他の人の作曲を合わせて、自由に使える数多くの楽曲を用意していました。そして演奏を始めてみると、どういうわけか曲がくっついた、場面転換のような楽節が生まれて、次の曲へと演奏が進んだのです。それはとてもゆっくり発展し、移行が引き継がれて、前の曲が消えていく、といった具合でした」。同公演に引き続き、72年8月から73年にかけてモルデ、ストックホルム、ニューヨーク、ベルガモ、ベルン等で同様の公演を行い、上記の『ソロ・コンサート』がアルバム化されたというわけだ。演奏スタイルと3枚組仕様にもかかわらず、同作は若い音楽好きからも支持されて、世界的に良好なセールスに貢献した。

74年10月に《ニューポート・ジャズ祭》を含め、北米で4回のソロ・コンサートを行ったキースは、75年1~2月に11回のヨーロッパ・ツアーで4か国を巡演。その5回目にあたる1月24日、ドイツ・ケルン“オペラ・ハウス”のステージから生まれたソロ・コンサート第2弾が『ザ・ケルン・コンサート』だ。このツアーでもECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーが自家用車にキースを乗せて都市を移動する行程がとられた。名実共に世界最高のジャズ・レーベルの地位を確立している69年設立のECMだが、当時はまだ現在とは比較できない新興組であり、このような手作り感あるツアー・スケジュールは車中で二人が関係を深める効果があったと想像できる。ただ前日のローザンヌ公演を終えてからの移動は、かなりの難儀だったと伝えられていて、前日から仮眠を取らずに当日の早朝に出発して、ケルンのホテルに着いた時は疲労困憊だった。『ケルン』はレコーディングが計画されていて、そのための機材等が準備されたのだが、状態の悪いピアノの使用を余儀なくされて、ほとんど寝ていないために意識が朦朧とした中で本番を迎えた二重苦の状況。「ステージに出て行った時のことを覚えています。そしてこれがおそらく重要な点ですが、ぼくは眠りかけていました。腰を下ろすだけでよかった。本当に寝てしまわないまでも、うとうとし始め、意識がぼんやりし始めた。ついに演奏のためステージに出なければならなくなった時には、ほっとしました。もうこの状態がやっと終わりになったからです」(『Keith Jarrett – The Man And His Music』イアン・カー著より)。

困難な状況で開催された『ケルン』は、75年に2枚組LPでリリース。長尺のインプロヴィゼーション3曲とアンコール1曲を収録している。本作の顔としてリスナーに親しまれているのが、①「ケルン、1975年1月24日 パートI」。26分の演奏は親しみが抱ける優美なメロディが随所にあって、およそ4つのパートからなる起承転結の構成力は即興演奏とは思えないほどの完成度の高さが認められる。当時のピアニストが自宅でピアノを弾きながら、譜面に鉛筆で書き込んだであろう作曲作業を想像してほしい。アイデアを逡巡しながら消しては書いてを繰り返しながら進めるプロセスが一般的だとすれば、キースはケルンのステージ上で消しゴムを持たない状態で、即興的創作場面に身を置いた。76年の京都、札幌等を収めた『サンベア・コンサート』を始め、キースが訪れた都市での体験がソロ・コンサートの演奏に反映されると言われる点で、『ケルン』には時間的・精神的な余裕はなかったと考えるのが自然だろう。最悪の状況の中で迎えた開演時刻。そのぎりぎりのタイミングで、キースは状況を好転させるための大きなヒントを見つける。オペラ・ハウスの開演前に会場で流れた鐘の音を、「パートI」のイントロに応用したのだ。ピンチをチャンスに変えたとっさのアイデアは、冒頭のテーマを形成し、エンディングへと展開する流れの呼び水となった。祈りの旋律や速いパッセージを経た8分あたりには、キースの声も飛び出しており、開演前のトラブル要素が意識から消えて音楽に没頭している様子がうかがえる。16分過ぎと17分過ぎのメロディのバリエーションは、即興演奏の過程で自身が発見した音を発展させるのがソロ・コンサートの重要な要素の一つであることを示す好例。20分を超えると、いよいよゴールが視界に入り、歓喜のヴァンプ(繰り返しのフレーズ)を連続させながらエンディングに至る。何度聴いても「パートI」の完成度の高さには驚愕するほかない。

14分54秒の②「パートIIa」と18分13秒の③「パートIIb」は、実際には連続的に演奏された1曲。『ソロ・コンサート』のCD化とは異なり、分割収録されたLPのトラックをCDでもそのまま踏襲している。②は同じメロディを繰り返すアップ・テンポの演奏を続けながら、次の展開を見出すソロ・コンサートの定石が、当時から発揮されていたエヴィデンス。8分からスロー・テンポに移行し、通奏低音のようなメロディを昇華させる手法はキースの真骨頂だ。低音域で楽曲にグルーヴ感を生むのは、キースの得意技であり、③で基盤となるヴァンプにそれが認められる。視覚的イメージを喚起する雨音のようなパートを経て、やがて静かなエンディングに落着する。

①と並んで本作のもう一つの話題が、7分弱の④「パートIIc」だ。これはアンコ-ル曲なのだが、楽曲としての完成度が高いために、当時から即興演奏だと認定し難い要素があった。87年の浜田均(vib)&西直樹(p)のデュオ作に、「メモリーズ・オブ・トゥモロウ」の曲名でこの曲がカヴァー収録されたことで、クローズアップされた事実がある。記録によればキースが66年にトリオで演奏したラジオ放送音源があり、69年にはトリオがストックホルムで演奏。その後、誰かが採譜した70年代発刊の楽譜集に「メモリーズ・オブ・トゥモロウ」の曲名で掲載され、浜田が75~76年にそれを見て自分のレパートリーにしたのが経緯だ。マニュエル・バルエコ(ac-g)は「ケルン・コンサート パートIIc」として94年作に、ウルフ・ワケニウス(ac-g)は「メモリーズ・オブ・トゥモロウ」として2005年作に収録した。④は印象的なメロディで始まり、後半はスローに転じて、余韻を湛えながら終わる。個人的には70年代にドイツECM盤LPを購入して以来、数え切れないほど聴き、たびたび執筆してきた『ザ・ケルン・コンサート』。アルバムの誕生から45年が経っても、聴くたびに新鮮さが味わえる名盤である。


【リリース情報】
キース・ジャレット
『ザ・ケルン・コンサート』
1. ケルン、1975年1月24日 (パートI)
2. ケルン、1975年1月24日 (パートII a)
3. ケルン、1975年1月24日 (パートII b)
4. ケルン、1975年1月24日 (パートII c)

CD:UCCU-5706  \1,650(tax in)
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