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「ブルーノート80ガイドブック」刊行記念トーク・イベント 完全レポート ~第3回~

斉藤:つづいて、ブルーノートの現社長で、『ブルーノート80ガイドブック』でも独占インタビューに応じてくれたドン・ウォズを紹介したいと思います。原田さんは80年代から彼の音楽がお好きだったとか。

原田:ドン・ウォズがブルーノートの社長になったのは衝撃でした。なぜならザ・ローリング・ストーンズやボブ・ディランのプロデューサーという印象があったからです。でも同時に、面白くなりそうだなとも思いました。97年にヴァーヴから出た『フォーエヴァー・ア・ロング・ロング・タイム』(オーケストラ・ウォズ名義)にはハービー・ハンコックやテレンス・ブランチャードも入っていて、ぼくは「ジャズ批評」で90年代の名盤のひとつとして取り上げたことがあります。 ドン・ウォズの名前を初めて知ったのはもっと昔で、84年に国内盤がリリースされた『セロニアス・モンクに捧ぐ』というトリビュート・アルバムがきっかけです。ハル・ウィルナーがプロデュースした2枚組LPですが、ここにドンが在籍していたウォズ(ノット・ウォズ)とシーラ・ジョーダンの共演が入っているんです。それでウォズ(ノット・ウォズ)に興味を持っていったら、メル・トーメや、ジェリ・アレンやケニー・ギャレットの師匠筋として後で評価が高まったマーカス・ベルグレイヴとの共演もあったりして、なんかすごく面白かった。同じ80年代にすごい勢いだった、ハル・ウィルナーやキップ・ハンラハンやナイル・ロジャースやビル・ラズウェルといったプロデューサーの音にも通じる、ニューヨークのヒリヒリした感じがあったんです。 そのドン・ウォズがいろんなキャリアを経てブルーノートの社長になって、それも一因なのか、ジャズ界そのものが活気づいている印象も受けます。ここに来る前に彼が今日(11月15日)何をやっているか調べたんですが、ブルーノートのオフィスにはいなくて、なんとグレイトフル・デッドのボブ・ウィアのバンドでツアーに出て、ベースを弾いています。数日前の公演がYouTubeで流れていますが、相当熱いロックンロールでした。

斉藤:私が初めてドン・ウォズをロサンゼルスに訪ねた時もオフィスにはいなくて、近くのレコーディング・スタジオでフランス人のブルース・シンガーのプロデュースをしていました。ブルーノートとはまったく関係ない仕事です。その後ドン・ウォズの運転する車でしゃぶしゃぶを食べに行って、ひたすら音楽の話をしました。しかも彼はいつもサンダル履きなんです。

原田:常にネクタイとスーツ姿のイメージだった前社長、ブルース・ランドヴァル(2015年死去)とはずいぶん違う感じです。

斉藤:「日本のブルーノートの普及のためになるなら、なんでも協力する」と、いつも言ってくれます。

原田:では、そのドン・ウォズが14歳のときにラジオで聴いて感激し、ブルーノートに熱中するきっかけになったという曲を聴いてください。


♪ジョー・ヘンダーソン「モード・フォー・ジョー」



斉藤:このジョー・ヘンダーソンのソロが心に語りかけてきた、と『ブルーノート80ガイドブック』のインタビューでも答えてくれています。

原田:ドン・ウォズはデトロイト出身だし、ヘンダーソンも故郷オハイオから50年代半ばにデトロイトに行っている。そのときの演奏仲間がドラムのジョン・クリーヴァーJr.、ジェラルド・クリーヴァーのお父さんです。ヘンダーソンはその後、兵役に取られて、60年代初頭にニューヨークに進出します。

斉藤:ドン・ウォズが以前来日したのは、今から4年前の創立75周年のときでした。

後藤:ブルーノートが再スタートするというので六本木の「ビルボードライブ東京」で行われたコンベンションに行きました。その時に新しく社長になったドン・ウォズが紹介されて、面白いことになるなあと実感しましたね。実際、ブルーノートが面白く変わってきました。昔のブルーノートの伝統の重みを背負いつつ、今のジャズ状況を捉えている。ここ数年のジャズはいい意味で変わってきていると思うけど、それを踏まえたアルバムを出しているでしょ。なおかつウェイン・ショーターらベテランの音楽も大事にして。いい塩梅でやっているなと思います。

(次回更新につづく)