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RE:ECM≒RE:JARRETT

キース・ジャレットの75歳の誕生日を記念して、ECMレコーズにおける軌跡を原雅明さんに執筆頂きました。

文:原 雅明
 


 昨年10月から今年2月まで、韓国ソウルにおいてECM設立50周年を記念した大規模なエキジビション『RE:ECM』が開催されていた。実際に会場を訪れる機会があった友人から詳しい話を聞き、展示の資料や写真も見せてもらったが、レーベルの歩みを網羅したアーカイヴと、RE:ECMのタイトルに顕れている新たな聴取の可能性をテーマとした展示は、とても充実したコンテンツであったようだ。特に惹かれたのは、ドイツの作曲家/サウンドデザイナーのマティス・ニシュケによるサウンド・インスタレーション「Small Places」だった。訪れた人が自由にソファに座ってECMの音楽をインタラクティヴに聴ける空間が、卓球台を模した大きなステージを土台として展示された。

https://mathis-nitschke.com/en/small-places/

 キース・ジャレットが、録音の合間にプロデューサーのマンフレッド・アイヒャーと卓球に興じる写真がある。ECMのNew Seriesを多数手掛けてきたエンジニアのピーター・レンガーが90年代初頭に撮影したものだ。この写真と、「レコードを作ることは卓球をするようなものだ」というアイヒャーの言葉にインスパイアされて制作されたのが、「Small Places」だ。アイヒャーは、限りのある空間と時間の中で、多くのアーティストとプレイを続けてきた。ECMの活動をそう言い表すこともできるだろう。そして、最も多くプレイを共にしてきたのがジャレットだ。



 ジャレットがいなければ、ECMは現在のようなレーベルにはなっていなかっただろう。ECMはジャレットが75歳の誕生日を迎える5月8日に向けて、Twitterの公式アカウント(@ECMRecords) https://twitter.com/ecmrecordsを連続更新した。ECMらしく、たくさんの言葉を費やすことなく、必要最小限の的確な表現でジャレットの長きに渡るライヴと膨大なディスコグラフィを褒め称えた。
「アイヒャーとの多くのコラボレーションの最初の作品であり、このアルバムのメロディックな発明と透明感のあるサウンドは、ピアノ・ソロ録音の新たな基準を確立した」とツイートされたのは、ECMからのデビューとなったピアノ・ソロ作『Facing You』(1972年)だ。当時のジャレットは、ポール・モチアン、チャーリー・ヘイデン、デューイ・レッドマンとのアメリカン・カルテットで活動し、マイルス・デイヴィス・グループにも加わっていた。アメリカのジャズ・シーンにおける将来は順風満帆に見えたが、AtlanticとColumbiaから立て続けにリリース契約を打ち切られる憂き目にあった。そんな折りに、ヨーロッパから届いたアイヒャーの熱心な手紙に応じて、ECMのことを何一つ知らぬまま、マイルスのヨーロッパ・ツアーの合間にノルウェーのオスロで『Facing You』の録音に臨んだ。

Keith Jarrett 『Facing You』 (1971年録音)



「長期にわたるトリオは、彼の創造性を様々な形で表現している。 グレート・アメリカン・ソングブックに思いがけない方法でアプローチした」とは、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのスタンダーズ・トリオのことだ。アイヒャーの提案を受け、スタンダードに挑むアルバム『Standards, Vol. 1』『Standards, Vol. 2』(1983年)を録音して以来、30年に渡って継続され、スタンダードのみならず、即興を中心にしたオリジナル曲の演奏でも冴えたアプローチを見せる特別なトリオとなった。
「ギター、教会のオルガン、ハープシコード、クラヴィコード、フルート、タブラなどを含む録音では、マルチ・インストゥルメンタリズムがジャレットの旅の一部となっている」というツイートは、時にはプライヴェート・スタジオで一人で様々な楽器の演奏や録音に没頭することもあった、ジャレットのもう一つの音楽性を照らす。『Invocations/The Moth and the Flame』(1979年)のパイプオルガンやソプラノサックス、『Spirits』(1985年)の各種民族楽器、『Book of Ways』(1987年)のクラヴィコードは特に印象深い。
 そして、「ソロ演奏に勝るものはなく、彼のコンサート録音はユニークで進化し続ける作品群を形成している。1973年の『Solo Concerts: Bremen/Lausanne』から続くラインを辿ることは、魅力ある音楽的な軌跡を辿ることだ」とツイートは結ばれる。ジャレットは『Facing You』の録音を青写真とするように、ソロ・コンサートを精力的におこない、『Solo Concerts』以降はライヴ録音作のリリースを続けた。ピアノ・ソロは基本的に完全なるインプロヴィゼーションだったからだが、それは作曲された音楽であるクラシックやスタンダードを演奏することと切り離されてはいなかった。ジャレットは、インプロヴィゼーションであっても、独創的であろうとする演奏に異を唱えた。ジャズでよく言われるユニークであるということは自己中心的だとも述べた。ゲイリー・ピーコックも、スタンダーズ・トリオの演奏を通して、演奏を我がものとする感覚から離れていったことを告白している。
 いま現在聴くことができるジャレットの最も新しいピアノ・ソロ作は、2016年7月16日にミュンヘンのフィルハーモニック・ホールで行ったライヴ録音盤『Munich 2016』(2019年)である。それは、ピアノ・ソロの前作『Creation』(2015年)リリース後に行われたヨーロッパとアメリカの幾つかの都市を回るツアーでの記録だ。『Munich 2016』のライナーノーツでも詳しく触れたが、『Creation』はこれまでと同様にインプロヴィゼーションによるソロだが、タッチもテンポも随分と落ち着いており、悟りや達観をした心持ちを表現しているように感じられた。それはジャレットらしからぬ演奏にも感じられたのだが、『Munich 2016』では一転して、切れ味鋭くスピーディーなタッチがあり、ブルースやラグタイムの断片や、ポリリズミックで複雑なリズムとハーモニーも散りばめられた、洒脱でユーモアも伴った演奏を聴くことができた。

Keith Jarrett / Munich


 
 コンサートを重ねることで、その時の雰囲気や聴衆や場所や楽器が決定付ける影響の大きさを常々感じてきたとジャレットは指摘している。ジャズやクラシックと対等に、民俗/民族音楽にも相対してきたが故に、張り詰めた空気の中で演奏されていても、その演奏が伝えるのはリスナーを突き放す未知の新しい何かではなく、繋がりと発見を見出せる何かだった。75歳の誕生日に合わせて、『Munich 2016』と同じツアーで、2016年7月3日にブダペストのベラ・バルトーク国立コンサート・ホールで録音された“Answer Me (Live from Budapest)”がデジタルリリースされた。ジャレットが幾度も演奏してきたスタンダードだが、まるで立体音響のように構築されたインプロヴィゼーション“Part XII”からの流れで聴いた『Munich 2016』での“Answer Me, My Love”とは、異なる曲に聞こえる。これも、変化するライヴ演奏の醍醐味だろう。

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 本稿では充分に触れることはできなかったが、アメリカン・カルテットも、ヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンセンとのヨーロピアン・カルテットも、『In the Light』(1973年)から続くクラシックへのアプローチも、それぞれから見出せることが未だある。決して孤高の存在ではない、RE:ECMならぬRE:JARRETTの、新たな聴取の可能性が残されている。

The Best of Keith Jarrett (プレイリスト)