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『THE GUITAR OF BN-LA』が伝える、ブラック・ミュージックにおけるギター演奏の妙



文:佐藤英輔

 長い歴史を持つレコード・レーベルは、大きな動きとそれに伴う興味深い物語を抱える。そして、それはジャズの最たる名門、1939年にレコーディングを始めたブルーノートも例外ではない。
 ハード・パップというスタイルを体現した、その黄金期は1950〜60年代中期。アート・ブレイキーを筆頭に、ブルーノートは東海岸の剛毅にして、閃きにも満ちた真っ黒いジャズを鋭意送り出した。その慧眼に貫かれた表現の醍醐味は、今もまったく色褪せていない。
 とはいえ、R&Bやロックが台頭した1960年代は、ジャズ界にとってまさに激動の時代だった。新たなポピュラー・ミュージックの台頭を横目にジャズはよりその独創性をアピールしようとしフリー・ジャズのようなカっとんだ様式を生むとともに、R&Bやロックと並走できる親しみやすさを持つジャズを世に問い出すようになる。
 その後者の場合、ピアノやダブル・ベースでなくエレクトリック・キーボードやエレクトリック・ベースを用い、タイトな非4ビートを採用し、またR&Bやロックのヒット曲を取り上げることもあったし、ヴォーカルを導入することもあった。そして、それらのレコーディングにはギタリストが入るのが常だった。
 1960年代初頭にグラント・グリーンという重要ギタリストを送り出したり、1950年代半ばにケニー・バレルの印象的なアルバムを出したブルーノートではあったが、実のところ黄金期の場合、オルガンとギターとドラムという編成が定番だったオルガン奏者(cf.ジミー・スミス)がリーダーとなるアルバムを除くと、ギター奏者のリーダー作どころか、ギタリストがサイド奏者として参加するアルバムが本当に少ないことに気づく。そう、ブルーノートを筆頭に、ハード・バップ期においてギターは明らかに傍系の楽器であった。つまりは、1960年代後期のジャズ界におけるギターは、ジャズとポップ・ミュージック(→こちらは、ギターを使うことが当たり前だった)をつなぐ決定的な楽器であり、非ジャズの聞き手をジャズ表現に引き込むものとして欠かせない楽器となる。
 そして、かようなギタリストが入ったポップ&ファンク志向を持つアルバムがメイン・ストリームになりつつあったブルーノートに転機が訪れたのは、1971年のことだった。1966年に、創始者のアルフレッド・ライオンはポピュラー・ミュージック系のレーベルであるリバティにブルーノートを売却。彼の引退後も、長年ライオンの片腕役を務めたフランシス・ウルフがブルーノートのトップについていたものの、71年にウルフが亡くなったことで、ブルーノートのポップ化はより推進された。新たなブルーノート社長にはアフリカ系エリートのジョージ・バトラーが就くとともに(ブルーノート後に、彼はCBS コロムビアの副社長となり、ジャズ部門を統括した)、長年拠点にしたニューヨークからロサンゼルスにオフィスを移してしまう。
 社長と本拠地が、ともに変更。そんな時期のプロダクツのレコード番号に用いられたのが、“BN-LA”だ。それ、LAのブルーノートという意味なのか? そして、ギター・マガジン誌により組まれた『THE GUITER OF BN-LA〜70年代、ブルーノートLAのギタリストたち。』は、伸び盛りのギタリストたちがいろいろと録音に起用され、R&Bやロックと肩を並べようとした1970年代のブルーノート表現(1979年に同社は新録音をやめる。その後、1983年からまたレコーディングを始めた)をコンパイルした2枚組である。
 実は同時期、ノーザン・ソウルの代表レーベルのモータウンはデトロイトからLA、そしてサザン・ソウルの総本山的レーベルであるスタックスはメンフィスから同じくLAへと社屋を移しているので、ブルーノートの動向は特異なことではない。そして、モータウンにせよスタックスにせよ、LAに移り音楽性やサウンドが変わったように、西海岸でのレコーディング物件が多くなったブルーノートもそれは例外ではなかった。
 いや、ブルーノートにしろモータウンにしろスタックスにしろ、時代に添ってサウンドの色を変えたいと考え、LAに引っ越したと取ったほうが自然だろう。当時は新しいアフリカン・アメリカンの都市生活感覚が伸長していた時代(1970年代はじめに起こった映画のブラックスプロイテーションの動き〜米国黒人の自我高揚を背景に黒人が主役の映画群が次々に送り出された〜もそれと重なる)で、そういう感覚をたたえた音は気候が温暖でサバけた快楽性や利便性を抱えていたLAという土地が適していると考えられたのだろう。そして、ハリウッド映画産業の音楽作りの下地もあったLAにはスタジオ・ミュージシャンがたくさんいて、そういう人たちもブルーノートのレコーディングに起用されたわけだ。
 なかには、デイヴィッド・T. ウォーカーのようにモータウンとブルーノートのレコーディングを掛け持ちするギタリストもいた。実は、『THE GUITER OF BN-LA〜70年代、ブルーノートLAのギタリストたち。』のディスク2はすべてT. ウォーカー絡みの曲が選ばれている。



 デイヴィッド・T. ウォーカー(1941年、オクラホマ州生まれ)はまさしく、一体いくつ関与アルバムがあるのかと思わせるセッション・ミュージシャン中のミュージシャンだ。チェス・レコードのスターR&B女性歌手であるエタ・ジェイムズ(チェスの興亡を描く2008年映画「キャデラック・レコード」では、ビヨンセがジェイムズ役を演じた)のサポートをした1960年代中期から名を出すようになり、1968年にはジャズの素養を持つことを知らせる初リーダー作『The Sidewalk』(Revue)もりリース。その後も彼はリーダー作をマイナー・レーベルから順次リリースするが、デイヴィッド・T. ウォーカーというと1970年ごろにはジャズもR&Bもいける敏腕ギタリストという位置を獲得した。
 マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、スティーヴィ・ワンダーらモータウン・アーティストの曲伴奏(当初は、名前がクレジットされていなかったが、徐々に語られるようになった)をはじめとするかゆいところに手が届くようなR&Bバッキング手腕はT. ウォーカーを語る際に欠かせない材料となっているが、当時のジャズ系セッション演奏はそれに比べると語られておらず、今作のディスク2はT“マエストロ”ウォーカーの輝かしい演奏活動をおおいに補完するものとなる。
 ここで示されるファンキーさのなかから口惜しいほどのメロウネスやドキドキを魔法のように浮き上がらせる彼のギター演奏は、まさしく唯一無二。今も個性的な活動を続ける彼だが、30代に入ったころの意気に満ち新しいジャジー表現に向おうとするT. ウォーカーの演奏は、このころだけの得難い聞き味を持っている。



 一方、ディスク1には当時新進のスタジオ・ギター奏者だったラリー・カールトンやリー・リトナーといった後の人気フュージョン・ギタリストの関与曲をはじめ、モータウン系ギタリストのワー・ワー・ワトソン(彼は1970年代中期にハービー・ハンコックのグループに入り脚光を浴びる)参加曲、マイルス・デイヴィスの1967年録音セッションでギタリストとして抜擢されたことがあるジョー・ベックの関与曲、ビリー・コブハムやディープ・パープルのメンバーとして知られるトミー・ボーリンやAOR系の名ギタリスト/プロデューサーであるジェイ・グレイドンの共演参加曲、マイルス・デイヴィスの1972〜1975年表現の要を担ったレジー・ルーカス(彼はあのマドンナの1983年デビュー作の主プロデューサーでもある)が入る曲、爽やかなガット・ギター演奏で一世を風靡したアール・クルーのリーダー曲、人気ロック・バンドのザ・ドアーズ(cf.ジム・モリソン)にいたギタリストのロビー・クリーガーのリーダー曲、ジョン・トロペイとデイヴィッド・スピノザとういう敏腕白人セッション・ギタリストが一緒に参加した曲などが並ぶ。



 新しい“折衷”や“洗練”の時代を伝える、ストーリー性に満ちた、アーバンなインスト主体の楽曲の数々。それらは、1970年代という、ジャンルの壁が大きく書き換えられつつあった米国音楽業界の光と影を雄弁に浮き上がらせてもいる。
 時代が動き、音楽も動いている……。そんなことを、ギターを物差しに置いて伝える『THE GUITER OF BN-LA〜70年代、ブルーノートLAのギタリストたち。』。廉価で出される同作は、ジャズとポップ・ミュージックの関係、ブルース、ジャズ、R&Bなど広義のブラック・ミュージックの積み重ねが生み出すギター演奏の妙を、これでもかと伝えてくれるのだ。