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【DIGGIN’ THE VINYLS Vol.4】

Keith Jarrett / Budapest Concert



(文:原田 和典)


ヴィンテージ・レコーディングが続いたので、今回は新しめの録音をご紹介したい。キース・ジャレットの『ブダペスト・コンサート』(16年収録/20年リリース)である。発売はもちろんECMレーベル、LP2枚にわたって鬼才ピアニストの至芸が拡がる。

ジャケット写真は額に飾りたいほどの美しさ。撮影したマーティン・ハンゲンは写真事務所“hangenfoto”を主宰、俳優ミヒャエル・A・グリム(映画『5パーセントの奇跡 嘘から始まる素敵な人生』等に登場)、ポップス歌手ヴァネッサ・マイ、ロック・バンド“ユーライア・ヒープ”のギター奏者ミック・ボックスのポートレイト等を手がけてきた名匠。その彼が、こよなく美しい自然の一瞬を切り撮った。ライナーノーツはなく、表紙裏には文字のみが印刷されているという、シンプルに徹したレイアウトなのもいい。盤はズシリと重く、紙質も厚い(“ヨーロッパ盤LPのジャケットは紙質が薄く、レコードの形が浮き出がちだ”という話はすっかり過去のもの、といっていいはずだ)。ランオフと呼ばれる無音の部分は、片面20数分平均のディスクとしては大きい。これはつまり、溝を狭くとって、なるべく外周寄りに音を入れていることを意味する。内周に行くほど高音が歪む、というアナログ・ディスクの特徴にして問題点をなるべく小さくしていくための方法のひとつと考えていいだろう。レコーディング・エンジニアのマーティン・ピアソンとマスタリング・エンジニアのクリストフ・スティッケルは、これまで『ラスト・ダンス』(07年収録/14年リリース)、『ラ・フェニーチェ』(06年収録/18年リリース)、『クリエイション』(14年収録/15年リリース)等のキース作品でもコンビを組んできた。むろん当2枚組LPと同じツアーの一端である前作『ミュンヘン2016』にも関わっている。

おそらく1970年の第一回新譜当時からECMは“音の良いレーベル”として知られてきた。いっぽうで筆者は“33回転LPの片面は18分程度が理想的”という言葉も聞いたことがある。実際、1960年代に発売されたインパルス盤やヴァーヴ盤は、そのくらいの尺でも思いっきり内周まで音が入っていてランオフは少なめ、黒というよりは灰色や白に近い溝を見るだけでサウンドが噴き出てくるような圧を感じたものだが、ECMからはとくに尺を気にしてマスタリングしている印象を個人的には受けたことはない。同社が一時アナログ・プレスを休止する前に出したチャールズ・ロイドの『ノーツ・フロム・ビッグ・サー』(92年リリース)、さらにまだアナログしかなかった時代に出たジャック・ディジョネットの『ニュー・ディレクションズ・イン・ヨーロッパ』(80年リリース)は、片面30分は超えようかという長さだ。しかし音のフォルムというかメリハリは崩れてはいない。ECMはカッティング術に何かシークレットを仕込んでいるのではないか、そう思えて仕方がない。

トランペット奏者としても知られるイアン・カーが著した評伝『キース・ジャレット 人と音楽』(音楽出版社)によると、キースの母方の祖父はハンガリー系、祖母はオーストリア/ハンガリー系であるという。二番目に師事したピアノの先生はキース少年にダンパー・ぺダル(サステイン・ペダル)の使用を制限し、ハンガリーの作曲家ベラ・バルトークの曲を数多く弾かせた。『Barber/Bartok: Piano Concertos』(1985年収録/2015年リリース)ではバルトークが最晩年の1945年に亡命先のアメリカで書いた「ピアノ協奏曲第3番 Sz.119」を、秋山和慶・指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団と共演するキースを聴くことができる。2007年、キースはブダペストのベラ・バルトーク国立コンサート・ホールに初登場。その9年後、やはりソロ・コンサート開催のために戻ってきた。

両手が別々の生き物のように音のしずくを降らせるサイド1「パートI」から、流れる時間を一瞬に感じさせるパフォーマンスが続く。盤を裏返すのが楽しみでしようがなくなる。マル・ウォルドロン(ECMの第一号アーティストとしても歴史に名を残す)を連想させる低音のうごめき、ねちっこい右手の動きが映える「パートIV」には十二分に興奮させられたし、ロマンティックなメロディに心ゆくまで浸れるということでは、サイド3(2枚目のA面)が尋常ではないほど光り輝いている。ローリング・ストーンズ「悲しみのアンジー」やカーペンターズ「ア・ソング・フォー・ユー」と並べて聴きたくなる「パートVII」から始まり、抒情そのものの「パートVIII」へ。ピアノで歌うとはまさにこのことだ。その後、抽象的で打楽器的な「パートIX」が突如入り込んでくるあたり、甘味処のあとのスパイスバーという感じで趣深い。サイド4の後半を飾るのは、知られざるスタンダード・ナンバー「イッツ・ア・ロンサム・オールド・タウン」と「アンサー・ミー、マイ・ラヴ」。前者はフランク永井とのデュエットでも知られるムード歌謡の女帝、“夜のハスキー”こと松尾和子が「白い夜霧のブルース」という邦題で歌っていた曲だが、松尾とキースの解釈を聴き比べると、同じ楽曲でもここまで感触が異なるのか、と頭がクラクラしてくる。



歴史的なLP3枚組『ソロ・コンサート』から43年を経た2016年に、やはり今後歴史的なものとして語られていくであろうコンサートが行なわれて、それがこのたびLPでリリースされたのは快挙というしかない。最高峰のピアニストが放つ響きを、最高峰のレーベルによるアナログ盤で聴くのは、すこぶるぜいたくな行為だと思う。筆者は鼻たれだった頃に叔父の部屋で『ソロ・コンサート』を聴いて以来、彼の音楽世界に酔わされているが、当LPの「パートVII」に出会って、キース熱が再燃してきたのをしたたかに感じているところだ。




(作品紹介)
Keith Jarrett / Budapest Concert

発売中
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