COLUMN/INTERVIEW

【連載】スタンダード名曲ものがたり 第9回 バードランドの子守歌


世の中に数多あるスタンダード・ナンバーから25曲を選りすぐって、その曲の魅力をジャズ評論家の藤本史昭が解説する連載企画(隔週更新)。曲が生まれた背景や、どのように広まっていったかなど、分かりやすくひも解きます。各曲の極めつけの名演もご紹介。これを読めば、お気に入りのスタンダードがきっと見つかるはずです。

文:藤本史昭


【第9回】
バードランドの子守歌
Lullaby Of Birdland
作曲:ジョージ・シアリング
作詞:ジョージ・デヴィッド・ワイス
1952年


1949年12月15日、ニューヨーク/ブロードウェイの一角に新しいジャズ・クラブがオープンしました。その名は「バードランド」。当時、人気絶頂だったチャーリー・パーカーのニックネーム、“バード”にあやかって付けられた店名です。トップクラスのジャズマンが連日出演し、人気者ピー・ウィー・マーケットが司会をつとめ、カリスマDJシンフォニー・シッドが毎夜店内から生中継するこのクラブはすぐさま評判となり、エヴァ・ガードナー、ゲイリー・クーパー、マリリン・モンロー、マレーネ・ディートリヒなどの著名人が集うようになります。店の入り口には「THE JAZZ CORNER OF THE WORLD」というネオンが掲げられていましたが、その看板に偽りなし。ここは掛け値なしに世界一のジャズ・クラブでした。

そのバードランドに因んで作られたのが、〈バードランドの子守歌〉。作曲したのは、英国出身の盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングです。当時シアリングは、ポップな音楽性と独特のグループ・サウンドでシーンを席巻中。バードランドにもたびたび出演していました。そんなある日、彼はクラブの経営者の1人であるモリス・レヴィ(後のルーレット・レーベルの創設者)から、店がスポンサーになっているラジオ番組用に曲を録音してほしいと頼まれます。当初レヴィは、自分の曲を録音するのが希望だったようですが、シアリングは難色を示し、結局は自分で作曲。それが〈バードランドの子守歌〉でした。

曲は、ヒットしました。マイナーからメジャーへの絶妙な移行。軽やかさの中に哀愁を宿したメロディ。古いスタンダードの〈ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー〉を下敷きにしたという説もありますが、もしそうだとしてもこれはまさに換骨奪胎、ここにはこのピアニストならではのキャッチーな世界があり、だからこそその後すぐに歌詞がつけられ、多くの歌手に歌われるようになったのでしょう。

伝記の中でシアリングは「この曲は約10分で作曲した」と語っています。そして、「けれどその10分は、私がこれまで音楽の仕事に費やしてきた時間にプラスした10分だ」とも。


●この名演をチェック!

ジョージ・シアリング
アルバム『バードランドの子守歌』(MGM→Verve)収録


まずはこの作曲者自身による演奏を。これを聴けば、ピアノ・トリオにギターとヴァイヴを加えたシアリング・サウンドがいかなるものであったか、よくおわかりいただけるはず。意外に速いテンポも、これぞクール!という感じです。



サラ・ヴォーン
アルバム『サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』(EmArcy)収録


この曲のヴォーカル・ヴァージョンの決定版。スキャットを含むサラの名唱はもちろん、各奏者のソロを効果的にフィーチャーしつつ、凝ったアンサンブルを随所に配置したアーニー・ウィルキンスのアレンジも秀逸です。