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【DIGGIN’ THE VINYLS Vol.12】 TIGRAN HAMASYAN / A FABLE

TIGRAN HAMASYAN / A FABLE


(文:原田 和典)

音楽シーンのハブに位置して久しいといっていいであろう才人、ティグラン・ハマシアン(1987年、アルメニアのギュムリ生まれ)。果てしなく雄大な風景へと聴き手をいざなう彼の音楽を、リリースのたびにのめり込むように摂取するリスナーも多いのではなかろうか。ぼくはアリ・ホーニグのユニット“パンクバップ”のアルバム『ライヴ・アット・スモールズ』(2010年)に接して“なんと明快なタッチを持つ、鮮烈なピアニストなのか”と唸り、2013年のアルバム『シャドウ・シアター』を聴いて踊りだしたくなると同時に、気がつくと鉛筆で仕事机を叩いてリズムをとっていた。なんだか、むしょうに突き動かされたのだ。

ストリングスも加えてポップかつシンフォニックに迫った『シャドウ・シアター』と編成的には好一対をなす、だが初期のティグランを代表することでは勝るとも劣らない一枚が、このたびユニバーサル・フランスから初LP化された。2001年にCDとしてリリースされたメジャー・レーベル第1弾アルバム『ア・フェイブル』である。前回の当コーナーでとりあげたチャーリー・ヘイデン『ノクターン』同様、180グラムの重量盤2枚組をシングル・ジャケットに収めた仕様だ。CDの収録時間は56分ほど、今回の2枚組LPではそれを四分割して盤に刻み込んだ感じになる。片面あたりの収録時間は長くて15分ほど、2枚目のB面は10分ほどで終わる。ぼくは“どんな装置でもある程度の平均点が出るのがデジタル、セッティングいかんで鳴りが100点にも120点にも変わってくるのがアナログ”という印象を持っていて、さらに“もっとも再生にこだわりがいのあるフォーマットこそソロ演奏なのではないか”とも考えている。ティグランのピアノ独奏の粒立ちがいかにリアルに、空気感を伴って再生されてゆくか。本作のLP化は、オーディオ面からも大きく歓迎されそうだ。



寓話や神話を意味する“A Fable”というアルバム・タイトルは、収録されているどの曲もストーリーを語っているように感じられることからティグラン自身がつけた。ソロ編成のアルバムにした背景には、「それまでインディペンデント・レーベル(Plus Loin Music, Nocturne)でバンド編成のアルバムを3作出したので次はソロにしたいと思っていたこと」、「ソロ・コンサートを行なうと、多くのオーディエンスから“この形式の演奏をもっと聴きたい”というリクエストが来ること」「たったひとり、ひとつの空間でアコースティック・ピアノを演奏することは自分にとって最も自然な行為のひとつであると同時に、自身の考える音楽的表現にチャレンジできること」、「自由であり、深くインスピレーションを得られる様式であること」等の理由があると述べている(2012年のプレス・リリースより)。

録音は2010年9月、フランス・モントルイユの「スタジオ・セクエンツァ」で行なわれた。ジャケットの裏面には、録音担当者としてティグランの盟友であるドラマーのネイト・ウッド(マスタリング・エンジニアとしても有名かと思う)、そのアシスタントとしてリシャール・ガリアーノ、マーシャル・ソラール、KAZE(藤井郷子ほか)らのアルバムにも携わる辣腕エンジニア、トマ・ヴィングトリニエの名がクレジットされている。ネイトはまた、1枚目のB面ラスト「Carnaval」に参加して実に生き生きしたビートを供給する。クレジットを参照すると、譜面台や床を叩いてサウンドを作り出しているようだ。事前から周到にプランニングされていたのか、録音現場で急遽、案が思いついたのかは定かではないものの、和やかな雰囲気の中で収録が行なわれたのであろうと想像するのはたやすい。

タイトル・ナンバーの「A Fable」(2枚目のB面2曲目)は録音の6年前、ティグランが母国アルメニアで書いた一曲。寓話作家のヴァルダン・アイゲクツィや学者・司祭のムヒタル・ゴッシュの作品に触発されたものだという(ぼくはティグランの影響で、二人の文章が邦訳掲載された渓水社・刊『中世アルメニア寓話集』を購入した)。口笛と肉声がオクターヴ・ユニゾンでかけめぐる1枚目のA面2曲目「What The Waves Brought」(2015年作品『モックルート』に収められている「カルス1.」とつなげてプレイするのも楽しかろう)、アルメニア語歌唱とピアノが妙なるユニゾンを展開する1枚目のB面2曲目「Longing」のドライヴ感ときたらどうだ。先に触れた「A Fable」と中世アルメニアの聖歌であるという3曲目「Mother, Where Are You?」はノンストップで展開され、まさしく大団円と呼ぶしかない高まりをみせる。1枚目のB面1曲目「Samsara」における、狂おしいまでの旋律のうねりも特筆せずにはいられない。



2枚目のA面2曲目に「いつか王子様が」が演奏されていることは、ティグランと伝統的なジャズ・ファンの距離を大いに近づけるに違いない。彼は3歳の頃からおもちゃ代わりにピアノを弾き、ロックやフュージョンに親しんだ後、10歳ごろに首都エレバンに家族で移住、ここでピアニストのヴァハグン・ハイラペティアン(Vahagn Hayrapetyan、ファースト・ネームは“Vahag”ではない。ニューヨークでバリー・ハリスやフランク・ヒューイットに師事経験あり)から王道ジャズについての教えを受けた。「このとき、ジャズが何であるか僕にはわかったよ」との発言もある。



「いつか王子様が」は、ピアニストに限ってもビル・エヴァンスや、チック・コリア(“熟達した偉大でディープなアーティスト”とティグランを称賛)、ハービー・ハンコック(“アメイジング! 今や君が私の先生だ”とティグランを称賛)などが取り上げてきたナンバーだ。ディズニーのアニメ映画『白雪姫』で複数回歌われて、毒リンゴで瀕死になったお姫様が憧れの王子様のキスで生き返るという展開の伏線ともなる、とってもハッピーでドリーミーな曲なのだが、ティグランは独創的なアレンジを施した。「メジャー・コードで終わらせる気はなかった。この曲の、ほとんどメジャー調の、楽しく響くメロディを、完全に改訂したかった。旋律を保ちながら、ダークで、完全に対立するようなハーモニーを持ち込んでね」-------リミックスの心をひそませたリハーモナイズという印象を個人的には受けたが、とにもかくにも、いまやECMニュー・シリーズの諸作やオダギリジョー監督作品『ある船頭の話』のサウンドトラックでも知られるようになった大鬼才は10年前から、すでに疑いようのない鬼才だった。それをアナログ盤の形で示すのが、今回の2枚組『ア・フェイブル』なのである。


(作品紹介)
TIGRAN HAMASYAN / A FABLE

発売中
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