COLUMN/INTERVIEW

【コラム】ドラマもいよいよ佳境! NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で描かれるジャズを改めて検証する


文:原田和典
写真:Courtesy of the Louis Armstrong House Museum

NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が佳境に入ってきた。“3人のヒロイン(上白石萌音・深津絵里・川栄李奈)が、母から娘へとバトンをつなぐ三世代100年のファミリーストーリー”という触れ込み通りのダイナミックな展開が続いているが、ジャズがクローズアップされていること、ジャズの王者ルイ・アームストロングが物語のキーのひとつになっていること、スタンダード・ナンバー「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」がフィーチャーされていることが個人的には何より嬉しい。

筆者の知る限りルイは「サニー・サイド」を1934年、37年、56年と3度スタジオ録音しているはずだが、たびたび劇中で流れる演唱は、二度目のヨーロッパ・ツアーを行っていた途中の34年11月7日にパリのスタジオで吹き込んだテイクをモデルにしているようだ。フランスではポリドール、米国ではブランズウィックというレコード会社からSP盤(25センチの78回転レコード)として出たものの、その後80数年、決して復刻が繰り返されてきたわけではなく、それゆえ“ベスト・オブ・アームストロング”的セレクションの候補にもなっていなかったはずの34年版「サニー・サイド」がここに脚光を浴びつつあるのは快挙というしかない。

 



そういえばiPhone 4のCMソングに選ばれた「ホエン・ユー・アー・スマイリング」も、決してあまねく知れ渡っていたナンバーではなかった。だが、ルイと同郷のトランペット奏者ニコラス・ペイトンがかつて筆者に語った通り、“ルイに水準以下のものなんかない”。これからも次世代がどんどん新鮮な感性でルイ・アームストロングの名演を見つけ出していくに違いない。

『カムカムエヴリバディ』で最もジャズ・ファンの心を揺さぶった時期は?と訊かれたら、ずばり「1962年~63年」と答えたい。敗戦後、占領軍が入ってきた時期の描写でもジャズを見聴きすることができたが、なによりも徹底的に、この時期が“ジャズっている”。62年は、深津演じるクリーニング店員“るい”(命名はルイ・アームストロングに因む)と、オダギリジョー演じるトランペット奏者“錠一郎”が一気に親しくなった年。

ラジオのニュースは堀江謙一の小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断(8月12日、サンフランシスコに入港)を告げ、白黒テレビは64年開催の東京オリンピックに向けて高速鉄道(新幹線)が開業予定であることを報じた。巷に流れる流行歌はハナ肇とクレージーキャッツ(歌;植木等)による「スーダラ節」や「ハイそれまでョ」。クレージーの7人だけではなく、作曲の萩原哲晶(ひろあき)も、伴奏の“宮間利之とニューハード”もいうまでもなく、根底にはジャズがあるのだが、それについてはまたの機会に述べたい。

錠一郎が頻繁に通うレコード店で、ひときわ目立つところに置かれているのはアルト・サックス奏者の渡辺貞夫がキングレコードから出した『渡辺貞夫』(61年8月録音、12月新譜として発売)だ。渡辺は米国ボストンにあるバークリー音楽院への留学決定後、62年1月に送別会を兼ねたジャム・セッションを赤坂の草月会館で開き、渡米先での保証人を探しながら(最終的にコネチカット州のハートフォード・ジャズ・ソサエティがスポンサーになったという)、ヴィブラフォン松本浩を中心とする“ザ・クイブラース”等で演奏。8月22日に出発した。

 



錠一郎の話に戻そう。63年夏、彼はジャズ・コンテストに参加する。これに優勝すれば東京に行き、レコーディングすることができるのだ。60年代初頭の関西では奈良県に本社を持つテイチクレコードが気を吐いていて、“古谷充とフレッシュメン”、“北野タダオとアロージャズオーケストラ”等のレコーディングを行っており、コロムビアレコードも60年に関東出身者(渡辺貞夫、宮沢昭など)と関西出身者(古谷充、伏見哲夫、前田憲男、猪俣猛など)の演奏をカップリングした『モダン・ファンキー・タッチ』というアルバムを発表しているが、キングレコードのジャズLP制作が激減する63年頃からタクトレコード発足の66年頃までは日本のジャズ・レコード制作史の一種の“谷間”である。

そこに東京でデビュー&レコーディングという魅力的な景品がぶら下げられたとしたら、誰だって張り切るに違いない。東京⇔大阪間はビジネス特急「こだま」を使っても7時間近くかかった。そうそう簡単に行き来することのできない時代の話だ。

コンテストでは、「ウォーターメロン・マン」「ザ・サイドワインダー」などをいち早く取り入れた――というよりは、その誕生を予言するかのようなナンバーが繰り広げられる。早乙女太一が演じる、錠一郎の友人にしてライバルのトミー北沢がプレイする「レッド・ホット」は、ディジー・ガレスピーの定番「ビ・バップ」を思わせる急速調。

 



つづいて現れたのは錠一郎、演奏曲は彼(とるいの)人生について回るナンバー「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」だ。乗りに乗ったジョーは続いて、北沢と共に「レスター・リープス・イン」風の循環コードの楽曲でトランペット競演を行う。錠一郎は優勝し、サイン色紙に「63.8.11」と書き入れた。現実のジャズ界ではすでに、日野皓正が“日野雅照(原文ママ)は近頃現れた新人の中でナンバー・ワンだろう。天才的なひらめきと豊かな音楽性は将来を楽しみなものにしてくれる。ブッカー・リトルのような鋭さも感じさせる”と称賛されており(「スイングジャーナル」62年11月号)、“日本のルイ・アームストロング”こと南里文雄に師事経験のある沖至も上京し、徐々にフリー・ジャズへの態勢を整え始めていたはず。

 


万歳三唱で見送られたはずの錠一郎は上京後、コンディションを乱してしまうのだが、その背景にはモード・ジャズやフリー・ジャズに対する焦りと不安があったのかも…そう深読みしたくなるのはジャズオタクの性(さが)だろうか。

63年の日本といえばオーネット・コールマン『オーネット・オン・テナー』、ジョン・コルトレーン『コルトレーン』、ソニー・ロリンズがドン・チェリーと組んだ『アワ・マン・イン・ジャズ』、ジョージ・ラッセル『ジョージ・ラッセルの芸術 (現在の邦題は『エズ・セティックス』)』が次々と発売された年であり、銀座「銀巴里」では実験的なセッション「フライデー・ジャズ・コーナー」も始まっていた。

美術に目を転じるとハイレッド・センター(高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之)の結成も、読売アンデパンダン展があまりにも過激かつ前衛的すぎて最終回になってしまったのも63年のことである。「サニー・サイド」の響きに救われてきたといっても過言ではない戦災孤児・錠一郎にとって、ジャズはあくまで“日なたの道を明るく照らすもの”であり、わかりやすくメロディアスでスウィングするものでなければならなかったのではないか。

が、当時の錠一郎の心は決して曇り空ばかりではなかったとも思いたい。彼がまだ大阪を拠点にしていた63年4月、ルイ・アームストロングが約10年ぶりに日本の土を踏んだ。あれほどアームストロングを敬愛する錠一郎である。物語には描かれていないが、るいを誘いつつ、横にいる彼女のことなどすっかり忘れる勢いで王者のプレイや歌唱に酔いしれている図が頭に浮かぶ。

王者は翌64年、今度はNo.1ヒット「ハロー・ドーリー」を携えて通算三度目の来日公演を成功させている。錠一郎とるいが結婚して京都に移住してからジャズを描いたシーンが減っているのが気にかかるけれど(この原稿は2月25日の夜に書いている)、大団円に向けて、飛び切り豪快なスウィング・セッションが飛びだすのではないか…そんな期待が高まるばかりの今日このごろだ。

 



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2. ハロー・ドーリー!
3. セ・シ・ボン
4. バラ色の人生
5. チーク・トゥ・チーク
6. ムーン・リヴァー
7. キャバレー
8. 明るい表通りで (オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート)
9. ブルーベリー・ヒル
10. 夢を描くキッス
11. 我が心のジョージア
12. 誰も奪えぬこの思い
13. ドリーム・ア・リトル・ドリーム・オブ・ミー
14. 君微笑めば
15. 聖者の行進

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