Enrico Rava / Edizione Speciale
文:原 雅明
十代の頃、地元のトリノで見たマイルス・デイヴィスのコンサートがきっかけで、エンリコ・ラヴァはトランペットを独学で習得した。ジャズクラブでプロとして定期的に演奏を始めた1950年代末から60年代初頭にかけて、イタリアにおいてジャズの演奏だけで生計を立てているミュージシャンは彼を含めて僅か3人しかいなかったという(※1)。優秀なミュージシャンの多くはラジオのオーケストラやシンガーの仕事をしていたが、ラヴァはジャズを演奏することに拘った。後進の指導にもあたり、サイドマンには若いミュージシャンを積極的に起用するなど、イタリアのジャズ界を牽引してきた存在だが、重鎮という言葉はあまり似つかわしくなく、そのプレイもスタンスもいつも大らかで、どこか飄々としてもいる。
1960年代には、ガトー・バルビエリやドン・チェリー、スティーヴ・レイシーらと出会い、アルゼンチンを経由してニューヨークに向かった。マイケル・マントラーとカーラ・ブレイのジャズ・コンポーザーズ・オーケストラに参加してフリージャズのムーヴメントに深く関わったが、そこから再びメロディを重視し、リズムとコードを使った演奏に立ち返る中で、より自由度が高い音楽の在り方を追求した。ラヴァの音楽には、アマチュア時代に演奏したディキシーランドのリズムも、ポストバップのグルーヴも、フリージャズのオープンな展開も、イタリアのクラシック音楽やアルゼンチンのタンゴも、さらにはマイケル・ジャクソンの音楽も入り込む余地がある。それは、ECMでのデビュー作『The Pilgrim And The Stars』(1975年)から、最新作のライヴ盤『Edizione Speciale』(2021年)に至るまで、変わらない彼の音楽の本質だと言える。
『Edizione Speciale』は、2019年夏に開催されたベルギー、アントワープのミッデルハイム・ジャズ・フェスティバルでの録音である。ギターのフランチェスコ・ディオダティ、ベースのブリエル・エヴァンジェリスタ、ドラムのエンリコ・モレロという、ラヴァとは40歳以上離れた若いミュージシャンと結成したカルテットに加えて、ゲストにピアニストのジョヴァンニ・グイディとサックス奏者のフランチェスコ・ベアザッティを迎えたスペシャル・エディション(Edizione Speciale)でライヴに臨んだ。この年、ラヴァは80歳を迎え、それを記念するコンサートでもあった(ECMも50周年を迎えた)。
ラヴァのフリューゲルホーンから始まる“Infant”は、このカルテットとトロンボーン奏者のジャンルカ・ペトレッラで録音された『Wild Dance』(2015年)の収録曲で、ラヴァとベアザッティのタイトなユニゾンは、オーネット・コールマンとドン・チェリーの演奏を彷彿させる。そこに、ディオダティのフィードバックしたギターが異なる要素を加えていく。ラヴァは、『The Pilgrim And The Stars』でジョン・アバークロンビーをフィーチャーしたように、ピアノではなくエレクトリック・ギターをハーモニーの中心においた演奏も好んできたが、その最新のサウンドを支えているのが、ディオダティだ。アバークロンビーやカート・ローゼンウィンケルの影響も受けてきた彼のギターはエフェクトを多用しつつも、繊細なタッチと空間を活かした演奏に特徴がある。
“Once Upon A Summertime / Theme For Jessica”は、ミシェル・ルグランの“La Valse Des Lilas”とラヴァの映画音楽集『Noir』(1996年)を繋げるように演奏される。ラヴァに見出されてデビューしたグイディのピアノがそれを先導する役割を担う。“Wild Dance”は『Wild Dance』のタイトル曲だが、中盤からはギターの強烈なフィードバックが支配し、ラヴァがいうところの「サウンドの雲」が出現する。同年代のミュージシャンと演奏することをあまり好まず、若い人のやることに親近感を覚えるというラヴァは、この展開を楽しむようにトランペットを重ねていく。
フィードバックノイズからリズムが戻ってくる“The Fearless Five”は、1995年にリリースした『Electric Five』の収録曲で、ラヴァがニューヨークで親交を深めたトロンボーン奏者のラズウェル・ラッドにインスパイアされている。ラヴァはトロンボーンとトランペットの類似性を指摘し、ベアザッティのサックスに対して、トロンボーンを意識した演奏を聞かせる。“Le Solite Cose / Diva”は、ラヴァがピアニストのステファノ・ボラーニとのリリカルなデュオで演奏してきた曲だが、ここではリズムセクションがそのカラーを変化させていく。ラヴァが現在のイタリアで最高のドラマーだというモレロと、アレッサンドロ・ガラティのトリオで重用されてきたエヴァンジェリスタのコンビネーションは、このライヴ全体を豊かにしている。ラストの“Quizás, Quizás, Quizás”は、キューバの作曲家オスバルド・ファレスの曲で、グイディがECMからリリースしたトリオ作『This Is The Day』(2015年)でも演奏されていたが、ラヴァは陽気なアンサンブルと変化のある展開の中で各人がソロを披露する空間を用意する。
より多くの録音とリリースを希望したラヴァは、80年代以降ECMを離れたが、2004年に復帰してからは、準備をかけて録音する方がいいと理解したという(※1)。自分の演奏を聴き直すのはあまり好きではないともいうが、若いミュージシャンたちが自分の楽曲をアップデートする演奏と、それに対する観客の熱狂と温かい反応は、ラヴィを鼓舞するに充分だったのだと『Edizione Speciale』は伝えている。
※1: https://www.allaboutjazz.com/enrico-rava-to-be-free-or-not-to-be-free-enrico-rava-by-ian-patterson
(作品紹介)
Enrico Rava / Edizione Speciale
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