©Valerie Wilmer

 

文:原田和典

 

1971年8月にデイヴ・ホランド、バリー・アルトシュル、アンソニー・ブラクストンとの“サークル”を終了してから2か月余り、チック・コリアはニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で新バンドの旗揚げを行なう。共演者はスタンリー・クラーク、ホレス・アーノルド、アイアート・モレイラ、ヒューバート・ロウズ。やがてロウズがジョー・ファレルに替わり、アーノルドが抜け、アイルトの妻フローラ・プリムが加わって、第1期“リターン・トゥ・フォーエヴァー”(RTF)が形成された。
アヴァンギャルド/エクスペリメンタル/アコースティックなサークルと、ポップ/メロディアス/一部エレクトリックを導入したRTFのスタイルは180度とまではいかないにせよ相当に異なる。しかし共通点も見出せる。チックのサイエントロジー入信以降の音楽であること(サークル存続の頃、ブラクストン以外は信者だったと伝えられる。サイエントロジー・センターでの演奏も行なっていた)、ECMレーベルから作品を発表していること。つまり、サークルを解散してサイエントロジーを発見した結果RTFができたわけではない。

 


ECMレーベルの第1回録音は1969年11月にドイツ・ルートヴィヒスブルクで行なわれ、70年に発売された。オリジナルLP品番ECM 1001、マル・ウォルドロン『フリー・アット・ラスト』がそれにあたる。チックはサックス奏者マリオン・ブラウンのリーダー作『ジョージア・フォーンの午後』(ECM 1004、70年8月の米国ニューヨーク録音)で初めてECMカタログに名を連ねた。ここにはブラクストンも参加しており、“裏サークル”の一作として再評価することも可能であろう。そして71年1月、ホランドとアルトシュルと組んだドイツ録音『ARC』(ECM 1009)で、チックはついにECMからのリーダー・デビューを果たす。AはAffinity(親愛の情)、RはReality(現実性)、CはCommunication(コミュニケーション)を示し、これはすなわちサイエントロジーの三要素であるそうだ。4月には、ノルウェー・オスロに飛んで『ピアノ・インプロヴィゼーション』二部作(ECM 1014、ECM 1020)をレコーディング。どちらのプロジェクトもサークルのツアー中に行なわれたものと思われる。ちなみにECM 1018とECM 1019はサークル『パリ・コンサート』(2枚組)、ECM 1022は『リターン・トゥ・フォーエヴァー』、ECM 1023はチックとゲイリー・バ―トンとのデュオ『クリスタル・サイレンス』だ。ECMにとってチックの存在がどれほど重要であったか、チックにとってECMがいかに自由な、かけがえのない創造の場であったかが実に強く伝わる。レーベルとアーティストが築きあげた最高峰のコンビネーションのひとつと断言してもいいだろう。しかも両者の交流は、今世紀に入ってからも続いた。シーンに新風を吹き込んでいたレーベルと若手気鋭ピアニストとが、ともに手を組み、半世紀ほどの歳月を重ねるうち互いに功成り名遂げたものの、それでもなお瑞々しい芸術性を失わず交流し続けたのだから、まったくミラクルのひとことに尽きる。

 


5月5日発売の復刻シリーズ「フォーエヴァー チック・コリア on SHM-CD」では、彼の数多いECM盤のうち、隠れ名盤的な作品中心に選ばれている。チックは“ECMのレコーディングには、「ジャズ」と「チェンバー・ミュージック」の二分野における、私の最も忘れがたい音楽的冒険が捉えられている”と述べているが、今回は「チェンバー・ミュージック」系作品の割合が高いセレクションであり、そこに自分は新鮮味を感じた。

●トリオ・ミュージック 

2枚組LPを1枚のCDに収録。LPでは1枚目がフリー・インプロヴィゼーション中心、2枚目がセロニアス・モンク作品集だった。録音は81年だがリリースは82年の夏。同年2月にモンクが他界したので、リアルタイムではモンク・トリビュートとして紹介されていた。ミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズとのレコーディングは68年の大傑作『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブズ』以来。70年代後半に再会してから、また集まってアルバムを残そうと考えていたのだという。83年から84年にかけて“トリオ・ミュージック”名でツアーも行なった。

 




●セクステットの為の抒情組曲 

『クリスタル・サイレンス』の名コンビが、弦楽四重奏を加えて制作したアルバム。録音は82年、発売は83年。83年に出たチックの国内盤にはほかに『アゲイン・アンド・アゲイン』、フリードリヒ・グルダとの『ザ・ミーティング』、夭折したピアニストとのドイツ・グラモフォン盤『チック・コリア&ニコラス・エコノム』があり、ライヴ面ではリターン・トゥ・フォーエヴァーの再結成(ただし第1期ではなく、アル・ディ・メオラを含む第2期ラインナップ)も評判になった。ハービー・ハンコックがヒップホップに立ち向かい『フューチャー・ショック』、キース・ジャレットがジャズのスタンダード曲に対峙して『スタンダーズVol.1』を出した年だ。その時期にチックはこんなに繊細で丁寧で想像力の拡がるチェンバー・ミュージックを世に問うていたのだが、仕方なかったのかもしれないけれどハービーやキースの盤ほど話題にはならなかった記憶がある。いまこそ、この抒情組曲を全身で受け止めるときなのではないか。

 



●チルドレンズ・ソングス

1971年から80年の間に書かれた小品「チルドレンズ・ソング No.1~20」をすべて収めた一枚。84年、譜面集との同時発売であったはずだ。No.15 まではエレクトリック・ピアノ、No.16以降はアコースティック・ピアノのために作曲されたが、ここではすべてアコースティック・ピアノによるソロで演奏されている。「アデンダム」のみ、チェロ奏者フレッド・シェリー(先の『抒情組曲』他に参加。ジョン・ゾーンとの交友も)、ヴァイオリン奏者アイダ・カヴァフィアン(名門ボザール・トリオの歴代メンバーのひとり)との三重奏。
 



●七重奏曲

ジャズと室内楽(クラシック)を行き来する者だからこそ可能な緩急自在な世界との印象を受ける。リリースは85年、同時期にやはりECMからフルート奏者スティーヴ・クジャラとのデュオ『果てしない旅』を出していたはず。シェリー、カヴァフィアン、クジャラなど“チックの室内楽ファミリー”というべきメンバーが集まり、さらに超絶フレンチ・ホルン奏者であるピーター・ゴードン(83年にフュージョン・バンド“フレンチトースト”を結成、ミシェル・カミロやデイヴ・ウェックルを輩出)が胸のすくような吹奏を披露する。ラスト・ナンバー「イスファハンの城」が限りなくドラマティックだ。翌86年、チックはフュージョンのトップ・レーベル、GRPに移り(そもそもECMとは専属契約ではない)、その名も『チック・コリア・エレクトリック・バンド』を発表(デイヴ・ウェックル参加)、久々に“エレクトリック前線”に戻ることになる。

 

 



■フォーエヴァー チック・コリア on SHM-CD
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