ゲイリー・ピーコックが亡くなった。

9月4日金曜日、ニューヨーク州北部の自宅で安らかに息を引き取ったそうだ。享年85歳。
ここ数日SNSで死亡説とデマ説が飛び交い、世界中のファンをやきもきさせたが、現地時間9月7日12:05PM、アメリカの公共ラジオNPRがご家族の声明を発表したことで訃報が確定した。

アルバート・アイラー、ポール・ブレイ、ポール・モチアン、ビル・エヴァンス、そしてキース・ジャレット等との共演。日本のファンにはPooさんこと、菊地雅章とのコラボレーションも忘れられない。69年頃から日本に住み、Pooさん以外にも富樫雅彦、村上寛、市川秀男、佐藤允彦、日野元彦、渡辺貞夫、そして山本邦山など素晴らしい面々と共演、その音楽的成果は計り知れない。71年頃まで滞在して禅を勉強、日本語も堪能になった。この東洋文化への傾倒は俳句を含めその後のゲイリーの活動に大きな影響を与える。

ゲイリーのベースはポール・チェンバースの様に強力なウォーキングでリズムをグルーヴさせる奏法とは違い、スコット・ラファロが切り開いた革新的なインタープレイ奏法に大きな影響を受けた。実際二人は親友だったようだ。
スコットの死後、ビル・エヴァンス、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンのトリオで録音されたVerve盤"Trio '64"は名盤だと思うが(マンフレッド・アイヒャーも愛聴盤にあげている)、プロデューサーのクリード・テイラーの好みには合わなかった様で、演奏以上の緊張感がスタジオに走ったという説もある。

"Trio '64"より Little Lulu - Bill Evans




1983年1月キース・ジャレットはゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットをニューヨークのパワーステーション・スタジオに招集、一気にアルバム3枚分のレコーディングを敢行した。"Standards Vol. 1"、"Standards Vol. 2"、"Changes"として順次リリースされると、世界中でヒットし、「スタンダーズ・トリオ」として人気を集める。来日も多く、コンサート・ホールで開催されるジャズ公演が減少する中、ソールド・アウトを連発した。

"Standards Vol. 1"
https://open.spotify.com/album/6g4tw8mwge2gJKqJQxE5r3?si=5NCNfu84Rq2o1P9SShmzLg


そして、結成30周年を迎えた2013年、最後の来日ツアーが鯉沼ミュージックより発表され、筆者もツアー・マネージャーとして同行することになった。5月3日成田空港出迎えから18日羽田空港見送り(次の公演地ソウルに向けて出発)まで約2週間のツアーは貴重な体験だった。

キースは本番前のサウンド・チェックでもあまり速い曲は演らず、少し衰えが見えて来たゲイリーへの気遣いも感じられたが、リラックスした雰囲気の中、素晴らしい瞬間が何度もあった。
事前のセットリストはなし。キースが弾き始めたら、ゲイリーとジャックがそれに合わせて曲がスタートする。MCは一切なし。ステージ袖では筆者とマネージャーのスティーヴン・クラウドが曲タイトルをメモしながらああだこうだと意見交換する。何しろコンサート後セットリストをロビーに掲示するので必死だった。どうしてもわからない時はジャックに聞く。彼はスタンダードに精通しているからだ。キースは全く覚えていない。ゲイリーはニコニコしながら着替えている。

大阪からの新幹線でゲイリーと隣になり、いろいろな話をしたことがある。最近の若手ミュージシャンに話題が及ぶと彼はこう言った。「若いミュージシャンはテクニックも理論も我々の若い頃より格段に進歩している。しかし、一度それらを全部忘れて無の状態で演奏した方がいいと思うよ。」フリーからスタンダードまで自由に行き来するゲイリーらしいアドヴァイスだと思った。

今頃はあちらで、Pooさんや鯉沼さんと自由に濃厚接触しているのではないだろうか。


ECM第1作目『テイルズ・オブ・アナザー』 / ゲイリー・ピーコック(1977年)
【パーソネル】
ゲイリー・ピーコック(b), キース・ジャレット(p). ジャック・ディジョネット(ds)




『Tangents』 / Gary Peacock Trio(2016年録音作)
【パーソネル】
ゲイリー・ピーコック(b), マーク・コープランド(p). ジョーイ・バロン(ds)