日本でも需要がますます高まっているヴァイナル市場。毎月注目のジャズのヴァイナル新譜をご紹介していきます。

 


 

『HOT HOUSE The Complete Jazz at Massey Hall Recordings』

 

開催から70年、“ビ・バップ最後の晩餐”が究極の形でアナログ化された--------

 

先ごろ発売された『HOT HOUSE』は、そう表現するのにふさわしい3枚組LPだ。収録は1953年5月15日、カナダ・トロントの「マッセイ・ホール」にて。演奏者はディジー・ガレスピー(トランペット)、チャーリー・パーカー(アルト・サックス)、バド・パウエル(ピアノ)、チャールズ・ミンガス(ベース)、マックス・ローチ(ドラムス)の5人だ。年季の入ったファンであれば『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』というタイトルのディスクで親しんできたに違いないコンサート音源の、いわばデラックス&アップグレード版である。

 

 

主催はトロントのジャズ愛好団体“ニュー・ジャズ・ソサエティ”(NJS)。名称から察するにモダン・ジャズを推していたと思われる。52年7月17日にはUJPOホール(収容人数不明)でレニー・トリスターノ・クインテット(共演はリー・コニッツ、ウォーン・マーシュ、ピーター・インド、アル・レヴィット)のコンサートを行い、商業的には成功しなかったものの、会員たちは大きな満足感と共に、次回のコンサートについての策を練った。82年にトリスターノの会社“ジャズ・レコーズ”から出た『Live In Toronto 1952』は、この時のライヴ音源だ。裏ジャケットには、NJSの中心人物であるディック・ウォッタムの名がエグゼクティヴ・プロデューサーとして記載されている。

 

 

ウォッタムはよほどトリスターノの音楽に惹かれていたのか、今度は彼とガレスピー、パーカー、ローチ、オスカー・ペティフォードを組ませた特別編成のバンドをトロントに呼びたいと構想する。が、トリスターノの返事は「それなら私よりバド・パウエルが向いているよ」。ペティフォードは都合がつかず、ウォッタムはチャールズ・ミンガスをベーシストに迎えることを思いつく。これが『HOT HOUSEのライナーに書いてあることだが、ジーン・サントロ著のミンガス伝『Myself When I Am Real』を読むと、また異なる背景がみえる。

 

「NJSはパウエルをガラ・コンサート(賑やかな催し)のスターにしたかった。が、入院中の彼を見つけることはできなかった。彼らはガレスピーも見つけることができなかった。そこでミンガスに電話したところ、彼は(妻の)セリアにパーカー、ガレスピー、ローチ、パウエルのマネージャーであるオスカー・グッドスタインに連絡をとるよう指示した。NJSは5枚の航空チケットを送ってきたが、セリアとグッドスタインを含む7人がトロントに向かうことになった。ふたりの管楽器奏者は遅れて出発した」。

 

 

ほか、ローチが、ペティフォードとの相性に疑問を抱いたのか、「彼は怪我をしていて今は演奏できない。代わりにミンガスはどうだ」とNJSに推薦した、という説もどこかで読んだことがある。

 

コンサートの開演時間は午後8時半。17人編成のオーケストラ“CBCオールスターズ”が前座を務めた。5人の演奏写真の後ろに、いくつもの譜面台が映っているのはそのためだ。リーダーはグレアム・トッピング、メンバーのひとりにまだ十代だったロブ・マコーネル(のちにヴァルヴ・トロンボーン奏者として名を成すが、当時からこれを吹いていたかは不明)がいたという。つづいてガレスピー、パーカー、パウエル、ミンガス、ローチが登場し、「ウィー」、「ホット・ハウス」、「チュニジアの夜」をプレイした。リハーサルも何もしないまま演奏に突入したともきくし、そうなると“とりあえずブルースでも”とでもなりそうなものだが、この夜、彼らは、いわゆるブルース・コードをひとつもとりあげていない。パーカーは普段使っている楽器を質に入れていたらしく、プラスティック製のアルト・サックスを演奏。ガレスピーはこれまでと同じく“普通の”トランペットを吹いている。彼が、45度ほど上向きのベル(朝顔)を持つ楽器を吹くのは翌54年以降のことだ。

 

マッセイ・ホールのキャパシティは2753人らしいから、日本の会場でいえば、中野サンプラザ(2222席)とNHKホール(3500席)の間ということになる。53年5月15日、ここに集まった観客は全体の3割ほど。不入りの理由のひとつに、「ほぼ同じ時間に米国シカゴでボクシングの試合(ヘヴィー級王者ジャージー・ジョー・ウォルコットvs挑戦者ロッキー・マルシアノ)が行われ、それがカナダでもテレビ中継されていたから」という説があるようだ。この試合の一部は、現在YouTubeで見ることができる。ガレスピーは進捗が気になって、しょっちゅうラジオのある舞台裏とステージ上を行き来していたそうだが、それも納得の、すさまじい肉弾戦を我々は今、追体験できるわけだ。

 

 

コンサートの休憩中、パーカーとガレスピーは会場を抜け出して「飲み」に出ていたという説もある。第2部は(おそらく)ローチの無伴奏ソロ曲で始まり、続いてパウエルとミンガスが合流してトリオ演奏となった。さらにパーカーとガレスピーが戻ってきて「パーディド」、「ソルト・ピーナッツ」、「オール・ザ・シングス・ユー・アー~52丁目のテーマ」をプレイし、(おそらく)アンコールにあたるパートではCBCオールスターズ+パーカー+ガレスピーのセッションも実現したというが、この共演に関しては録音機がまわされていなかったらしい。

 

 

NJSはアメリカからやってきた演奏家たちに1450ドルの予算を考えていた。最高額はパウエルの500ドル、最低額はミンガスとローチの各150ドル。となると管楽器奏者ふたりは650ドルをわけあうことになるが、この不入りではとても払えないことが分かった。だが幸いにもCBC側が、「コンサートの本編を記録していた」。このテープをアメリカに持ち帰ったのはミンガスだという。また、パーカーは当時契約を結んでいたクレフ・レコーズの社主ノーマン・グランツに音源を聴かせたらしい。「前払い金はいくらだ?」とグランツ。パーカーは「10万ドルだ」と答え、結果として、マッセイ・ホール・セッションはミンガスが主導するインディペンデント・レーベル“デビュー”から出ることになった。ただしベースの音がよく捉えられていないことにミンガスは不満を持ち、後日、自分のパートを重ねる。場所はルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオ、しかもローチとビリー・テイラー(ピアノ)を引き連れてのオーヴァーダビングだったとも伝え聞くが、『Hot House』のライナーやデータ面で触れられているのは「ベースを追加録音した」ということだけだ。

 

 

この3枚組は、1枚目が「5人による演奏」、2枚目が「パウエル、ミンガス、ローチの演奏」、3枚目が「5人による演奏(ベースのオーヴァー・ダビングあり)」となっている。管楽器の背後で図太く迫るミンガスのベースが聴きたければディスク3に軍配があがるし、ローチのキメの細かいシンバル・ワークやバスドラの連打がマスキングされずにしっかり残っているのは当然ながらディスク1だ。ディスク2のパウエルに関して、私はいまだすっきりした気分になっていないのだが、1年半もの療養生活を終えてからまだ3カ月ほどの姿だと考えると、やはりこれはこれで大変な営みなのだろうとは思う。

 


 

【リリース情報】

『HOT HOUSE The Complete Jazz at Massey Hall Recordings』

https://tower.jp/item/6187068/Hot-House%EF%BC%9A-The-Complete-Jazz-At-Massey-Hall-Recordings%EF%BC%9C%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9B%A4%EF%BC%9E