Marc Johnson / Overpass

 


(文:原 雅明)

 マーク・ジョンソンが、ビル・エヴァンス最後のトリオのベーシストに抜擢されたのは、1978年、25歳の時だった。大学で一緒だったライル・メイズの推薦により、ウディ・ハーマン・オーケストラに加入して10ヶ月が経った頃、公演でニューヨークを訪れた際に、エヴァンスと出会った。元々ピアノとチェロを学び、19歳でプロとしてフォートワース交響楽団で演奏を始めたジョンソンは、ビッグバンドでの演奏から、より少人数での演奏に関心を寄せていた。ヴィレッジ・ヴァンガードでのオーディションを経て、エヴァンスから誘いを受けたのは驚きであったが、ピアノ・トリオで演奏することをジョンソンはかねてより望んでいたという。

「まだ未熟でしたが、ビルは私の演奏の中に可能性を感じ、チャンスを与えてくれました。これは、私の評価だけでなく、自信にも繋がったのです。当時の私にとっては、これがすべてでした」(※1)

 ジョンソンのベースとジョー・ラバーベラのドラムの新生トリオは、エヴァンスが1980年9月に亡くなったことによって、僅かな活動期間で消滅した。エヴァンス最後のスタジオ・アルバム『We Will Meet Again』(1980年)や、死後にリリースされたライヴ音源で、このトリオでのジョンソンの演奏を聴くことができるが、その後、ピアノ・トリオというフォーマットで演奏するのは難しいことになっていったという。

「ビルが亡くなったとき、私はただ、すべてのものが底をついたと感じました。心の中では、もし自分で何かをする機会があったとしても、ビルの音楽的な経験に頼っていたので、ピアノ・トリオにはしたくないと思っていたのです」(※1)

 ジョンソンは、ジョーイ・バロンと共にフレッド・ハーシュのピアノ・トリオに参加して、『Horizons』(1985年)で素晴らしい演奏を聴かせたが、次第にギタリストとの演奏に新たな方向性を見出していった。そのきっかけは、ジョン・アバークロンビーだった。アバークロンビーは『Timeless』(1975年)以降、トリオ、カルテットでECMからリリースを重ねてきたが、ジョンソンとピーター・アースキンとのトリオで、より独創的なチャレンジを試みた。

「アバークロンビー・トリオは、ビル・エヴァンスと一緒にやっていた仕事と私の方向性を見事に引き継いでいました。言語が非常に似ていたので、変化することのない時間を演奏する方法を発展させることができたのです。とても緩い、あるいは限られた構造で、その場で音楽を作る感覚です。これは、構造の中での自由の概念であり、上達するにつれ、より自由になり、より多くのリスクを取ることができるようになったのです」(※1)

 このトリオで初めて録音された『Current Events』(1986年)で、アバークロンビーはギター・シンセサイザーも使い、ジョンソンとアースキンと共に空間を活かす演奏を展開した。そして、ジョンソンは、「ピーター・アースキンと一緒に演奏するまでは、バックビートの感覚がよくわからなかった」という。アースキンの叩くビートがもたらす拡がりによって、ベーシストとして解放されたのだともいう。

 こうして、ジョンソンは、その後、20年近くに渡って、ギタリストとの演奏にフォーカスしていくことになった。ECMからの初のリーダー作『Bass Desires』(1986年)とその続編であるベース・ディザイアーズ名義の『Second Sight』(1986年)も、ジョン・スコフィールドとビル・フリゼールの二人のギタリストとアースキンとで録音された。ブルースやジャズを洗練させたアプローチで演奏するスコフィールドのギターと、空間的な拡がりや歪みを積極的に使うフリゼールのギター、それにジョンソンのベースとのインタープレイは新鮮だった。『The Sound of Summer Running』(1998年)では、パット・メセニーとフリゼールをフィーチャーし、ベース・ディザイアーズのコンセプトをアップデートした。ジョンソンはエレクリック・ベースを演奏することはなかったが、それでいて、充分に躍動感のある軽快で開かれた演奏を成立させた。それゆえ、所謂フュージョンとは異なった響きと構造の音楽を生み出した。

 UKのピアニスト、ジョン・テイラーの『Rosslyn』(2003年)では、ジョンソンはバロンと共に珍しくピアノ・トリオを組織したが、これは凛とした仕上がりの素晴らしいアルバムだった。ケニー・ホイーラー、ノーマ・ウィンストンとのアジマスでもECMからリリースのあるテイラーは、ビル・エヴァンスから多大な影響を受けてきたという。また、バロンはジョン・ゾーンとのアグレッシヴでフリーフォームな演奏を経て、ジョンソンやアバークロンビーとの精緻な演奏に至った。この二人とのコンビネーションは、ジョンソンに再びピアノに向き合うきっかけをもたらしたのかもしれない。そして、この流れを汲むように、ジョンソンの『Shades of Jade』(2005年)がリリースされた。スコフィールドとバロンに、ウディ・ハーマン・オーケストラで共に演奏したジョー・ロヴァーノのテナーサックス、それに妻であるイリアーヌ・イリアスのピアノが加わった。タイトル曲は、エヴァンスの最初のトリオのベーシスト、スコット・ラファロの曲にインスパイアされていた。このアルバムはジョンソンの二つの方向性(ピアノとギター)が滑らかに繋がりを持った作品だった。その後、イリアスとの『Swept Away』(2012年)もリリースされた。ロヴァーノとバロンも再び参加したが、ギタリストはフィーチャーしないカルテット編成で、アコースティックのストレートなサウンドにフォーカスした。このアルバム以前から、ジョンソンはイリアスとの仕事を優先させ、彼女のアルバムに継続的に関わっていた。また、イタリアのピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィとの演奏も続けた。
 

 

 

 『Overpass』は、久々のジョンソンのソロ・アルバムだ。しかも、キャリア初となるソロ・ベースである。ジョンソンとエリーナがプロデュースを担当し、2018年にエリーナの故郷であるブラジルで録音された。ソロ・ベースを録音するきっかけとなったのは、かつて影響を受けたデイヴ・ホランドの『Emerald Tears』(1978年)だったという。ECMからリリースされたこのソロ・ベースのアルバムでは、ホランドの曲の他に、アンソニー・ブラグストンとマイルス・デイヴィスの曲を演奏した。弦をプラッキングする音まで生々しく捉えた録音は、アップライト・ベースだけで如何に豊かな表現が成立するかを示したが、『Overpass』もまた躍動する弦の響きと振動をリアルに捉えている。アルバムは、エディー・ハリスの“Freedom Jazz Dance”からスタートする。ファンキーでグルーヴィーなハリス自身の演奏ではなく、マイルスのクィンテットによるタイトでシャープな演奏が参照されているようだ。続く“Nardis”はマイルスの曲だが、エヴァンスによって幾度も演奏され、有名となった曲だ。ジョンソンの参加したトリオでも演奏され、特にライヴ盤『The Paris Concert: Edition Two』(1984年)での演奏が素晴らしい。“Nardis”は、ジョンソンにとっても重要な曲だったという。

「“Nardis”は私にとってソロ・ベースの探求が始まった場所であり、この演奏には私がこのアルバムで使用している概念と語彙の多くが集約されています」(※2)

 


 ユセフ・ラティーフの演奏で知られる“Love Theme From Spartacus”もカヴァーされているが、それ以外はジョンソンの曲だ。自分の過去の演奏も振り返りながら、アルバムは次第にプリミティヴな響きへと向かっていく。“And Strike Each Tuneful String”は、60年代後半の東アフリカ、ブルンジのミュージシャンたちのフィールド・レコーディングから発見した音楽が元になっているという。ジョンソンは、80年代初頭に自分のサウンドと演奏に何かプリミティヴなものが必要であると思い、その音楽と出会った。

「その音楽は、丸太をくり抜き、牛の腱を弦にしたイナンガという楽器で演奏されていました。弦は様々なパターンで弾かれ、土のような音と繰り返しの音は非常に催眠的でした。この曲は即興演奏であり、ベース・ディザイアーズのセカンド・アルバムに収録された“Prayer Beads”の短い再現でもあります」(※2)

 “Samurai Fly”も、『Bass Desires』の“Samurai Hee-Haw”が再構築された曲だ。また、“Yin And Yang”は、4つの弦を鳴らすことで生まれるハーモニクスから即興演奏が始まるが、弦が次のアタックまで減衰していくことで反復を生み出し、最小限のオーヴァーダブを使って弓弾きの即興演奏を支える。“Whorled Whirled World”もプリミティヴな音楽からの影響が伺えるが、反復されるメロディはモザイク状のパターンのような拡がりを持っている。

 オーセンティックなジャズから、現代的なアンサンブルまで自在な表現を成し得てきたジョンソンだが、ソロ・ベースでは、プリミティヴな躍動感と即興性を尊重した演奏に至っていることが、非常に興味深い。それは、ジョンソンが折に触れて口にしてきた、演奏の概念や語彙というものを研ぎ澄ました結果だろう。リーダーであることに野心的ではないとしてサイドマンに徹してきたが、『Overpass』では、失われることのないデイヴ・ホランドへのオマージュと、ソロ・ベースの可能性が強く表明されている。

※1: https://jazztimes.com/features/profiles/the-stellar-sideman-career-of-marc-johnson/
※2:『Overpass』のプレス・リリースより


(作品紹介)
Marc Johnson / Overpass

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