キース・ジャレット『ボルドー・コンサート』

文:五野 洋 2022.10.1

2016年7月6日にジャズ&ワイン・ボルドー・フェスティヴァルの一環として行なわれたこのコンサートはキースにとって最後のヨーロッパ・ツアーとなってしまったソロ・コンサート・シリーズの一環である。新録音が期待出来ない今、このライヴ・アルバムは貴重なドキュメントだと思う。

 ツアーは7月3日のハンガリー・ブタペストを皮切りに6日フランス・ボルドー、9日オーストリア・ウィーン、12日イタリア・ローマ、16日ドイツ・ミュンヘンと5カ国5都市を周るというスケジュールで行なわれ、この内ブタペストとミュンヘンのライヴは既にリリースされている。

どれも素晴らしい内容なので、ローマとウィーンのコンサートもいずれリリースされることだろう。



 会場のボルドー国立歌劇場オーディオリアムは席数1450、神奈川県民ホールの1階席くらいの広さである。

日本ツアーでよく使われたオーチャードホールや東京文化会館、サントリーホール、大阪フェスティバルホールに比べて少し小ぶりだが、その分観客との距離は近いのかも知れない。当日の観客の盛り上がりぶりがそれを物語っている。何しろ1曲終わる度に盛大な拍手喝采が起きているのだ。2回目のアンコールの後またステージに戻ったキースは珍しく観客にこう語りかけている。

「皆さんは、文字通り、並外れた観客です。ありがとうございました。そして、信じてください、私はいつもそう言っているわけではありません。」

 1970年代、『ケルン・コンサート』の頃はマンフレート・アイヒャーの運転でヨーロッパ各地を周るという強行軍だったらしく、いくらキースが若かったと言っても前人未到のソロ・コンサート・ツアーをこなすには相当ハードなスケジュールだったに違いない。

近年はキースの年齢、健康状態を考えて、最低でも中2日でスケジュールが組まれている。

因みに最後の来日公演となった2014年のソロ・ツアーも下記の様な日程で行なわれた。

4月27日成田着、30日渋谷オーチャードホール、5月2日大阪移動、3日大阪フェスティバルホール、4日東京移動、6日オーチャードホール、9日紀尾井ホール、10日帰国。

なお、マネージャーのスティーヴン・クラウドは前日の4月26日キース専用の特別なマットレスと共に来日し、宿泊先のニューオータニのキースの部屋にセッティングを済ませている。キースはアメリカからドクターも帯同させる程身体のケアを大切にしていた。

このツアーでは5月8日の誕生日を東京で迎え、終始上機嫌で翌日の紀尾井ホール最終公演を終えることが出来た。



 ステージに上がるキースの後ろ姿を舞台袖から見送る時いつも思うが、何を考えながらピアノに向かって歩いているのだろう。ソロの時は特にそうだ。トリオの時はゲイリー・ピーコックとジャック・ディジョネットがいるからある程度気が楽だと思うが、完全即興のソロの時は命綱も救命ネットもなしで空中に飛び立つ感じだろうか。ちょっとオーバーな表現になったかも知れないが、少なくとも無の状態であることは想像出来る。ピアノの上に腕時計を置いてからおもむろに椅子に座る。腕時計を置く時客席を見ながら少し茶目っ気を見せる時もある。ウディ・アレンのように。

そして、最初の一音が奏でられた瞬間から観客は観たことも聴いたこともないような旅に出発するのだ。キースの紡ぎ出す音楽に身を委ねて。

時には椅子から離れ中腰になり、時には天を仰ぎながら喜びの声を上げる。足を踏み鳴らしながら左手で強力なリズムを刻む。中近東風のクラスターからゴスペル・ブルース。時には天まで届くような極上の響き。キースの即興演奏の旅はどこまでも続いて行く。



 ボルドー・コンサートは13のパートからなる組曲のようなもので、全て即興演奏、アンコールのスタンダードもない。しかし、パート12と13は事実上のアンコールではないだろうか。実際、即興とは思えない美しい曲になっている。

 NPRラジオのサイトに載ったネイト・チンネン(2018年のニューヨーク・タイムズに載ったキース脳卒中の衝撃インタビューも担当したジャーナリスト)による最新インタビューを読むと最近は右手だけでスタンダードやビバップの曲を弾いているそうだ。左手は使えないので右手の小指でメロディーを弾き、左手はコードを弾くふりをするためにある、というキースらしいシャレが効いた表現で少し救われる。ボルドーのことにも触れていて、会場の音響は良かったが食事には不満が残ったらしい。美食の国フランスなのに…。

 キースのソロ・ピアノ・アルバムと言えばまず前述の「ケルン・コンサート」が挙げられるが、その舞台裏を描いた映画が進行中だという。タイトルも"Köln 75 "、1975年1月24日ケルンのオペラハウスでキースのコンサートを企画した17歳の女子学生Vera Brandesの実話を描いている。Mala EmdeがVeraを演じ、John Magaroがキースの役を演じている。監督はIdo Fluk、ベルリンを拠点とするOne Two Filmsの製作。

完成したら是非観てみたいものだ。

なお、Vera Brandesは今でもドイツで音楽プロデューサーとして活躍しているという。

世界中のファンが待っているキースの復帰にはかなり時間がかかると思うが、キースのことだ、きっとその時がやって来ると思う。


■作品情報
キース・ジャレット『ボルドー・コンサート』
Keith Jarrett / Bordeaux Concert
2022年9月30日(金)リリース
UCCE-1194 SHM-CD
¥2,860(TAX IN)
https://Keith-Jarrett.lnk.to/BordeauxConcertPR

■秘蔵コレクションでたどる”ECM&キース・ジャレット写真・資料展
会場:吉岡町・切り絵緑の美術館(水沢街道 庵古道際)
住所:〒370-3606 群馬県北群馬郡吉岡町上野田3362-5)
開催日時:2022年10月1日(土)-10月31日(月)
※火~木を除く毎日1100
入場料:¥1,000(税込)
https://www.facebook.com/profile.php?id=100077489653176

■キース・ジャレット各種リンク
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