ECMを初期から親しんでいるファンは、ボボ・ステンソンの『アンダーウェア』というアルバムに特別の親しみをもっているのではないだろうか。1971年のステンソンが27歳の作品で、プロデューサーのマンフレート・アイヒャーもひとつ上の28歳だった。ステンソンが日本に紹介されたのがこのアルバムだったが、演奏も親しみやすく、ECMという特異な色彩を放つ世界を超えて広く聴かれたという記憶がある。
実際、ステンソンのキャリアを辿ってみると、その活動の幅は広く、共演者を列挙すれば、ソニー・ロリンズ、スタン・ゲッツ、チャールス・ロイドといった名だたるサックスの巨匠たちがいれば、ドン・チェリー、ジョージ・ラッセルといった先鋭的なミュージシャンもいて、その型にはまらない創造性が、ステンソンのスウェーデン・ジャズ界における存在の大きさ、影響力にダイレクトにつながっている。そんなわけで、ステンソンのアルバムを辿ってみると、ECMに限ることなく、スウェーデンを中心に様々なレーベルに録音を残している。
©Caterina Di Perri / ECM Records
しかし、ことピアノ・トリオというピアニストにとって基本的な編成に限ってみると、ECMは、特別な位置にある。とりわけ近年の業績を振り返るとこれは絶対的と言ってよく、ここにやはりアイヒャーという存在を無視することはできない。この最新作『Sphere』は、ベースのアンデルス・ヨルミン、ドラムのヨン・フェルトによるトリオだが、このメンバーは、『Cantando』(2008年)、『Indicum』(2012年)、『Contra La Indecision』(2018年)の3作が続けてリリースされていて、ステンソンの活動歴でも珍しいレギュラー・トリオとして完成された世界を作っている。ちなみにヨルミンは、曲に関心を寄せる古くからの熟達した共演者、フェルトは新世代の幅広い感覚をもったドラマーで、この新旧の世界の広がりが、ステンソンの想像力をかきたてる要素になっている。
むろん、このトリオの成果は多方面で評価され、内外で様々な賞を獲得するという目に見える実績として残されている。たとえば、スウェーデンには、OrkesterJournalenというジャズ雑誌があるが(ちなみにその創刊は米ダウンビート誌より半年早く世界最古)、毎年最優秀アルバムとしてゴールド・ディスク1作品が発表され、このステンソン・トリオの近作2作が、2012年、2018年に連続受賞している。他にもステンソンは、様々なスウェーデンの音楽賞を受賞し、また、グラミー賞にもノミネートされてもいるから、その名声は、すでに国内だけにとどまらないと言えるだろう。
こうした様々な高い評価を得ている彼らだが、その魅力は、一言でいえば、型にはまらない自由な音楽性と抒情の深さだろうか。関心はジャズだけにとどまらない。今回はノルウェーのハンセン、デンマークのノルゴールド、フィンランドのシベリウスといった具合にスカンジナビアの作曲家の作品が多く取り上げられているが、けれど、それらも紋切り型の演奏からかなり逸脱した即興の世界で、その微妙な接点から浮遊する抒情性のようなものが重要だろう。それが2度と繰り返されない即興音楽でありアンサンブルなのだ。素材の収集はヨルミン、それに思いもかけない彩りとかたちを生み出すフェルト、そして、そこに沸き立つような空気の中をステンソンのピアノが確かな像を描き、消え去る。これは見えない絵であり、聴こえない音楽のように曖昧だが、でも、これほど確かな世界はないと思わせる想像力の世界なのだ。この世界の住人アイヒャーは4人目のメンバーとして、様々な広がりの可能性のヒントのようなものを送り出していたに違いない。そう思わせるに十分な音楽を共有する楽しさがここにあふれている。
■作品情報
Bobo Stenson Trio『Sphere』
https://Bobo-Stenson-Trio.lnk.to/Sphere