バイ・ウィークリーで最新の新譜を原雅明さんにご紹介して頂く【NEWEST ECM】第2回は、2016年に初来日コンサートも行ったアルバニア出身のシンガー/マルチ・ミュージシャン、エリーナ・ドゥニの2年ぶりの注目作品のご紹介です。
Elina Duni / Lost Ships
(文:原 雅明)
アルバム『Matanë Malit』(2012年)と『Dallëndyshe』(2015年)をECMからリリースしたエリーナ・ドゥニ・クァルテットのライヴを観て、インタビューをおこなったのは4年ほど前のことだ。複雑な民族紛争を繰り返してきたバルカン半島のアルバニアで生まれ育ったシンガー、エリーナ・ドゥニは、10歳でスイスに亡命した。首都ベルンの音楽学校でピアニストのコリン・ヴァロンと出会い、デュオで演奏を始めて、クァルテットへと発展した。二人は当初、アルバニアを中心にバルカン半島のトラッドを演奏していた。このデュオをやるまで、ドゥニはアルバニアの音楽をまったく知らず、ジャズやアヴァンギャルドなポップスを歌っていたという。バルカン音楽に関心を持ち、以前から演奏していたのは、ヴァロンの方だった。自身のトリオでもECMからリリースがあるヴァロンが、バルカン音楽を演奏する理由として、スイスの音楽と文化について語ったことはとても興味深かった。
Elina Duni Quartet: Matanë Malit (Album EPK)
Elina Duni Quartet - Sytë
「スイスは連邦国家でいろいろな文化、民族が集まってできていて、公用語も4ヵ国語ある。様々な出自を持つ人が集まっているので、スイスに対してのルーツがない。以前は自分の国に音楽のルーツがないのがとても悲しいことだと思っていたが、でも今はそれがないからこそ、民族でも文化でも、束縛されることがなく自分たちの音楽が表現できる。逆に自由にやれている理由なんだと思っている」
ヨーロッパの南東部、地中海東部に位置するバルカン半島は、ロマ(ジプシー)の音楽の中心地の一つでもあり、多様なトラッドを生み出した土地として、音楽的にも関心を持たれてきた。ドゥニのように90年代にスイスにやってきた移民たちの中からミュージシャンとして活動する者も現れ、その民族的なバックグラウンドが「ルーツがない」スイスのジャズ・シーンに持ち込まれた。ドゥニとヴァロンは、自分たちのジャズが生まれた背景をそう説明した。
ドゥニは、2018年にソロ作『Partir』をECMからリリースした。ドゥニがギター、ピアノ、パーカッションも演奏して、一人で制作された。イタリアのカンツォーネ・シンガー、ドメニコ・モドゥーニョの“Amara Terra Mia”からスタートするこのアルバムには、アルバニアやコソボ、マケドニアのバルカン半島からスイスやアルメニアのトラッド、ジャック・ブレルのシャンソン、ドゥニのオリジナル曲などが収められた。これまでのジャズという枠組からは少し離れたが、ワールド・ミュージックという形容にも収まらない、全てがドゥニのパーソナルな音楽として成立していた。それは、前回紹介したディノ・サルーシの「再構築」とも繋がる、ECMの提示するコンテンポラリー・ミュージックをドゥニが表現したのだとも言える。
Elina Duni - 'Partir' Meu Amor
『Partir』に続いて、ドゥニはスイスのピアニスト、マルク・ペレノード、フランスのトランペット奏者、デイヴィッド・エンコらとアクシャムというグループを組んで、アルバム『Aksham』(2019年)をリリースした。このクインテットでは、ジャズにフォーカスして、ゆったりと進行する流れの中に緊張感のあるアンサンブルを聴かせた。そして、ドゥニの最新リリースとなるのが、ECMからの『Lost Ships』である。
Elina Duni - Bella Ci Dormi
このアルバムで、ドゥニは新しいコラボレーターを迎えた。イギリスの気鋭のジャズ・ギタリスト、ロブ・ルフトが楽曲をドゥニと共作し、スイスのフリューゲルホーン奏者、マシュー・ミッシェルと、イギリスのマルチ・インストゥルメンタリスト、フレッド・トーマス(ピアノとパーカッション)が演奏に加わった。アルバムは半分の6曲がオリジナル曲で、残りはトラッドと、フランク・シナトラのジャズ・バラード、シャルル・アズナヴールのシャンソンが取り上げられている。ドゥニとルフトが連名で寄せたライナーノーツをまずは紹介したい。
これは、私たちが直面している現代の問題についてのアルバムです。ヨーロッパをはじめとする世界の移民の危機という悲劇的な物語、自然破壊による生態系の崩壊という差し迫った問題。また、私たちが行ったことのある場所、愛した場所、もう存在しない場所、想像の断片として存在し続ける場所についてのアルバムでもあります。
過去の影響に触れた曲は、今も変わらずに存在しているアルバニアや地中海のフォークロアのサウンドと共にあります。時代を超越したジャズ・バラード、フランスのシャンソン、アメリカのフォークソングなど、他の音楽のルーツも、私たちは探ってみたかったのです。多くの楽曲には厳粛さが見られると共に、全体に拡がる明るさがあり、その明るさがこの困難な時代を照らし出すと信じています。
"すべての涙には、光がある"
エリーナ・ドゥニ、ロブ・ルフト
最後に引用されたフレーズは、ドゥニとルフトの楽曲“Lux”の歌詞から採られている。現実に対する懸念や怖れと向き合うこの曲にも「明るさ(lightness)」がもたらされているが、その最も大きな要因はルフトのギターにある。1993年サウス・ロンドン生まれのこの若きギタリストは、今年(2020年)リリースしたリーダー作『Life Is The Dancer』でも、昨今のUKジャズの流行とは一線を画する、モダンで尚かつ多様なルーツを織り込んだジャズを提示した。『Lost Ships』でのルフトは、弦のナチュラルなピッキングも、エフェクトによるエレクトロニクスも、ドゥニのヴォーカルと逐一呼応するように繊細に扱っている。それは伸び伸びと演奏していた『Life Is The Dancer』のプレイとは対照的だが、その響きが決して重くはならず、軽やかさ(lightness)を終始保っていることでは共通している。このギターの響きが、ドゥニのヴォーカルにも変化をもたらした。それは、アルバム・タイトル曲“Lost Ships”のヴァーカルに特に顕著で、ここでのギターはまるで第二のヴォーカルのように機能して、ピアノとのコンビネーションも含め、ヴォーカルと楽器は新鮮なアンサンブルを形成している。
Elina Duni/Rob Luft/Fred Thomas - Lost Ships
カヴァーされた音楽の他にも、ビル・フリゼールのアメリカーナから西アフリカの音楽まで、あるいはシーラ・ジョーダン『Portrait of Sheila』のヴォーカルからアイヴィン・オールセットとヤン・バンのギターとエレクトロニクスのセッションまで、ドゥニとルフトは互いに重要と思う音楽を共有して、アルバムを作り上げた。『Lost Ships』が照らし出す「明るさ」とは、音楽そのものだけではなく、時代と地域を超えてインスピレーションを与えることができる音楽の豊かな関係性がもたらすものでもある。音楽を作ること/聴くことは、音楽を辿り、探ることでもあると、このアルバムは静かに主張する。
(作品紹介)
Lost Ships / Elina Duni
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https://www.universal-music.co.jp/p/073-9322/