ベンジャミン・ラックナー『ラスト・ディケイド』
文:五野 洋 2022.11.15
ベンジャミン・ラックナー、恥ずかしながら今まで知りませんでした。ベンジャミン・ハーマンは良く知っているのですが…。
ベルリン生まれのアメリカ育ちで今は母国ドイツで活動中。なんだかECMそのものを体現している様なアーティストだ。ワンホーンのアコースティック・カルテットというある意味典型的なジャズグループのフォーマットを使いながら、曲づくり、ピアノとトランペットの関係、リズム・セクションの位置付け、どれを取っても新鮮だ。哀愁味のあるテーマをトランペットのマティアス・アイクが吹くと余計に哀愁味が増すし、ベンジャミンのピアノの寄り添い方も適度なリリシズムが気持ちいい。ベースのジェローム・ルガールもドラムのマヌ・カッチェも余計なことはしないがナチュラルなプレイでボトムをサポートしている。4人の演奏がひとつになり、大きなうねりを見せながら滑るようにたんたんとしたグルーヴを生み出して行く様は、まるで一個の生命体の動きを観ているようで面白い。
1曲を除いて全8曲をベンジャミンが書き下ろしているが、マティアス・アイクのトランペットをフィーチャーすることにより、今までのベンジャミンの曲作りとは違うカラフルな世界を楽しめる。ジェローム・ルガールの即興ソロ・ベース「エミール」(彼の息子に因んで名付けられた)は澄み切ったベースの響きが強く印象に残り、最終曲「マイ・ピープル」への見事な序章になっている。
アルバムとしてこれだけ見事な仕上がりを聴かせられると、やはりそこにマンフレート・アイヒャーの見事なプロデュースぶりを感じずにはいられない。全体の構成、ソロの配置、曲順などひとつひとつの要素が魔法にかかった様なミックスダウンによってリスナーに提示される。
その秘密はレコーディング・スタジオにもあるのではないだろうか。
レコーディング・スタジオは南フランスのスタジオ・ラ・ビュイソン。ヤン・エリック・コングスハウス亡き今、オスロのレインボー・スタジオに代わってECMの重要スタジオになっている。レコーディング・エンジニアのジェラール・ド・アロもルイ・スクラヴィス、ニック・ベルチェ、バール・フィリップス等の地元系ミュージシャンだけではなくウォルフガング・ムースピールやアーマッド・ジャマルなど幅広いアーティストを手がけている。
ECMとレコーディング・スタジオ及びエンジニアの関係は非常に重要でオスロのレインボー・スタジオとヤン・エリック・コングスハウスの例を挙げるまでもなくマンフレート・アイヒャーのお眼鏡(お耳)にかなうことは大変なステータスにもなる。
スタジオ・ラ・ビュイソンのジェラール・ド・アロとマンフレート・アイヒャーの出会いは1993年か1994年に遡る。ベーシスト、バール・フィリップスに懇願してベース運搬係(いわゆるバンドボーイ)としてオスロのレインボー・スタジオを訪れたジェラールはアイヒャーとヤン・エリックに初めて会い、そのレコーディング現場に立ち会うという夢を叶えた。その後の1995年ルイ・スクラヴィス・セクステットのレコーディングでアイヒャーは初めてスタジオ・ラ・ビュイソンに足を踏み入れることになる。
1987年に設立されたこのスタジオは南フランスの片田舎にあり、ミュージシャンたちが「心地よい繭のような場所」と表現し、「完全な静寂の中で自分たちの音楽を表現できる」理想的な環境に囲まれているそうだ。
最近のECM作品ではバール・フィリップス、ジェルジ・クルターグ・ジュニア の『ファス・ア・ファス』(ECM2732)、アヴィシャイ・コーエン『ビッグ・ヴィシャス』(ECM2680)などがこのスタジオでレコーディングされている。
また、このスタジオはLa Buissonneという自主レーベルも運営しており、ECMがディストリビーションしている。マンフレートがいかにこのスタジオを気に入っているかわかるような気がする。
調べてみるとベンジャミン・ラックナーはECMと契約する前の2016年ベニー・ラックナー名義で初来日しており、丸の内コットンクラブで2日間ライヴを行なっていた。
この10年いかに私自身が不勉強であったかをしみじみ感じさせてくれる作品がこの『ラスと・ディケイド』でありました。
■作品情報
ベンジャミン・ラックナー『ラスト・ディケイド』
Benjamin Lackner / Last Decade
UCCE-1196 SHM-CD
¥2,860(TAX IN)
https://store.universal-music.co.jp/product/ucce1196/