ECMから1977年にリリースされたアジマスのデビュー・アルバム『Azimuth』に収録の「The Tunnel」という曲が、ここに来て俄に聴かれているようだ。アルバムの他の曲に対して「The Tunnel」のサブスクでの再生数は二桁ほど違う数字になっているのだが、それはドレイクの「IDGAF」にサンプリングされたのが要因だ。「IDGAF」は最新アルバム『For All the Dogs』の1曲で、カリフォルニア出身の23歳の気鋭のラッパー、Yeatをフィーチャーしている。プロデューサーはYeatと頻繁に活動してきたBNYXとSebastian Shahだ。一方、イギリス出身のヴォーカリストのノーマ・ウィンストン、ピアニストのジョン・テイラー、トランペット/フリューゲルホーン奏者のケニー・ホイーラーのトリオ、アジマスは、ECMを代表するアーティストたちのグループであり、2000年代初頭まで活動したが、ウィンストン以外のメンバーは既に亡くなっている。ドレイクたちとアジマスに直接的な繋がりは一切ない。

 

 

 ECMの音源がヒップホップのサンプリングに使われるのは特に珍しいことではなく、むしろ、よく使われてきたと言っていい。かつて、ECMのレコードは比較的に安く手に入れられて、スペースのある音作りゆえに音数が少ないので特定の音を抜きやすいという実用的な理由もあったと思われる。また、ECM独特のリヴァーブが生み出すアトモスフェリックな音が、アブストラクトな音作りに間接的に影響を与えたこともあったはずだ。ただ、それらはサンプリング・アートとしてヒップホップが成熟していく過程の話であり、その前にサンプリングを無邪気に駆使できた80年代があった。この時代のサンプリングについては、クエストラヴの説明を紹介するのが適切だろう。

 


 

ヒップホップに関わっている人で、パブリック・エネミーの『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』に何らかの影響を受けていない人はいない。特にプロダクションをやっていればね。自分が最初に衝撃を受けたのは、そのアルバムだった。だって、父親のレコード・コレクション全体が70分に凝縮されていたからなんだ。パブリック・エネミーの曲を聴いていると、「これはデヴィッド・ボウイ、これはサイマンデ、ここはジェームス・ブラウン、ここはハニー・ドリッパーズ」と一つ一つのネタが分かる。彼らは膨大な量のサンプルを曲の中に詰め込んでいたんだ。

https://www.redbullmusicacademy.com/lectures/uestlove-phrenology-of-hip-hop

 


 

 この時代までのヒップホップの大らかなサンプリングは、ブレイクビーツを通して音楽的な文脈を辿っていくことができた。ある意味、教育的だったとも言える。また、レコード屋のエサ箱に入れられて見向きもされなくなったジャズを再生させたのは、他でもないヒップホップだ。いまでこそ、ジャズをサンプリングすることがヒップホップのジャズへのリスペクトとして語られることもあるが、サンプリングする側とされる側はそもそもドライな関係にあった。なぜなら、ヒップホップは持たざる者たちが発明したカルチャーだからだ。そして、ヒップホップのミックスとエディットがより精緻なものになっていくにつれて、ネタ使いは文脈を逸脱していき、選択の自由度も増した。ECMはもとより、現代音楽から民族音楽まで、ありとあらゆる音源がサンプリングの対象になった。

 

 だが、「IDGAF」と「The Tunnel」の間には、ドライな関係とは言い切れないものが表れている。マイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』を聴いた若きノーマ・ウィンストンは、そこに声があると感じ、声の響きを楽器と同じように扱うことを模索した。だから、彼女は通常のシンガーのようには歌わないヴォーカリストなのだが、『Azimuth』では2曲だけ歌詞を書いて歌っている。その1曲が「The Tunnel」だ。「闇の中を永遠に旅する(Travelling forever in the dark)」と始まる歌は、闇のトンネルを彷徨い続ける様を描く。ジョン・テイラーの透明感のあるピアノに、彼が弾くシンセサイザーも重なっていくが、その幾重にも曲がりくねるような電子音は声と共に出口の見えないトンネルを彷徨っているようだ。

 

 

 「IDGAF」は、この9分以上ある曲をウィンストンの歌を中心に1分ほどに編集して、冒頭で再生している。それはサンプリングというよりイントロとして使われているのだ。そして、閉塞状態の中で「嘘をつくしかない(Nothing to do but lie)」とウィンストンが口にしたところで、Yeatのラップがおもむろに重なってきて、オリジナリティを欠いた連中をディスり、自分の富や成功を誇示する。これは、殆んど「The Tunnel」にもたれかかったような曲だ。Yeatの自信とその裏返しの不安は、すべて「The Tunnel」の世界に集約されているように聞こえるからだ。

 

 アジマスやウィンストンを熱心に聴いてきたリスナーは、この曲の使われ方に眉をひそめるかもしれないが、自分は少し違う印象を抱いている。大らかなサンプリングが成立しない時代において、尚もヒップホップは他者の表現に依拠するものとしてあることを前向きに捉えたいからだ。似た印象を、ケンドリック・ラマーの「We Cry Together」(『Mr. Morale & The Big Steppers』収録曲)で使われたECMの音源にも感じた。ラマーと女優のテイラー・ペイジが口論を繰り広げるバックで流れたのは、ベーシストのゲイリー・ピーコックのリーダー・アルバム『Shift In The Wind』の「Valentine」におけるアート・ランディのピアノだった。僅か2秒ほどを切り取ったループだが、終盤まで延々と流れ続けた。『Mr. Morale & The Big Steppers』は、ピアニストでプロデューサーのデュヴァル・ティモシーが制作に大きく関与した。彼の弾くミニマルなピアノはビート以上に雄弁でアルバムの軸を成していた。同じように、ランディのピアノもまたサンプリング以上の意味をもたらしていた。

 

 静寂に近いと言われる音と、喧騒の中で響く音は、日常の不意の出会いのように時に交わることもある。