Dominik Wania / Lonely Shadows

 



(文:原 雅明)


2018年に亡くなった、ポーランド・ジャズのシンボルであるトランペッター、トーマス・スタンコが、初めてECMに吹き込んだアルバムが『Balladyna』(1976年)だった。ベースにデイヴ・ホランド、サックスに同郷のトーマス・シュカルスキ、ドラムにフィンランドのエドワード・ヴェサラを迎えた。ストレート・アヘッドな躍動感とフリージャズの即興性が重なり合いながら、ECMのフィルターを通して空間へと拡がっていく。そんな演奏が記録されたアルバムは、この時代のECMを代表する作品の一つであり、スタンコにとっても特別な作品となった。

 



 このリリースから30年余りが経った2007年に、スタンコは新しいメンバーと共に『Balladyna』へと立ち返るライヴをスタートさせた。ニュー・バラディナ・クァルテットと名付けられたグループには、ポーランド・ジャズの新たな時代を担うプレイヤーが招かれた。共に1981年生まれであるピアニストのドミニク・ワニアとサックス奏者のマチェイ・オバラは、このグループで出会い、意気投合した。年齢が同じだけではなく、アメリカでジャズを学び、ポーランドへと戻ってきた経歴も似通っていた。ワニアはオバラのグループに加わった。その後、ヨーロッパの若手ミュージシャンをサポートするレジデンシー・プログラムをきっかけに交流が生まれたノルウェーのベーシスト、オレ・モウテン・ヴェイガンと、ドラマー、ガード・ニルセンも加わり、マチェイ・オバラ・クァルテットとオバラ・インターナショナルの活動が本格化した。

 クァルテットは、2017年にECMからのデビュー作『Unloved』を、2019年にも同メンバーで『Three Crowns』をリリースした。ヴェイガンとニルセンのリズム隊はフリー・インプロヴィゼーションも得意とし、ダイナミックなアルト・サックスを吹くオバラとのコンビネーションは、『Balladyna』の世界を彷彿とさせるものがあった。その中で、濁りのない音色で正確なタッチをキープするワニアのピアノが、際立ったコントラストを形成して、クァルテットに軽快さと色彩をもたらした。

 



 3歳でピアノを始めたワニアは、アンジェイ・ピクルに師事し、クラシック・ピアノを習得したが、ボストンのニューイングランド音楽院に進学し、ダニーロ・ペレスの元で2年間ジャズを学んだ。ワニアが本格的にジャズの演奏に取り組んだのは、スタンコとオバラがきっかけだった。特にオバラとの10年以上に及ぶ活動が、ワニアをジャズへと深く導いたが、クラシック・ピアノを出自とする彼のプレイの本質は失われることなく、個性を発揮した。

 また、オバラとの活動と並行して、ドラマーのヤツェク・コハンにも重用されてきた。ポーランドを80年代初頭に離れ、ニューヨークでも活動してグレッグ・オズビーやゲイリー・トーマスらM-BASEのミュージシャンたちとも親交を深めたコハンの諸作では、ワニアの弾くシンセサイザーやエレクトリック・ピアノを聴くことができる。一方、ポーランドの作曲家で、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の映画音楽でも知られるズビグニエフ・プレイスネルの楽曲を演奏したピアノ・ソロ作『Twilight』(2019年)など、クラシック・ピアノへのアプローチも続けた。

 ECMからのソロ・デビュー作『Lonely Shadows』もピアノ・ソロで、モーリス・ラヴェルに捧げられている。ワニアは、最近のインタビュー(※1)で、ラヴェルの音楽の、チック・コリア、キース・ジャレット、ビル・エヴァンスらジャズ・ピアニストへの影響を、かつて博士号の研究テーマとしたことを語っている。

 



「ジャズのハーモニーがラヴェルのハーモニーに近いことを示そうとしたのです。非常に精密に書かれた音楽ですが、そこには厳密で数学的な精密さは聞こえず、流れるようです」

 そして、ジャズの因習の中で、ラヴェルの“鏡(Miroirs)”を演奏することを試みたという。ワニアは自身のトリオでラヴェルの楽曲をジャズとして演奏したアルバム『Ravel』(2015年)もリリースしている。そこでは、楽曲はジャズにアレンジし直され、ストレートにジャズに向かった演奏を展開している。それに対して、『Lonely Shadows』の楽曲はすべてワニアのオリジナルで、完全なる即興で演奏された。そして、それはジャズ・ピアニストの即興ではないと断言する。

「色を感じること、音を大切にすること、音色を正しく引き出すこと、鍵盤に埋め込むこと、これらのことに関しては、間違いなくクラシック音楽の恩恵を受けています。これらはすべてクラシックの教育と楽器へのアプローチの賜物なのです。私は即興演奏をしますが、ジャズ・ピアニストではなく、単なるピアニストだと思っています」

 



 プロデュースはマンフレート・アイヒャーが、エンジニアはステファノ・アメリオが務め、2019年11月にスイス、ルガーノのAuditorio Stelio Molo RSIで録音された。ボボ・ステンソン、グラウコ・ヴェニエル、ティグラン・ハマシアン、シャイ・マエストロなど、近年のECMの録音ではこのコンサート・ホールにあるピアノが使われてきた。「この特別なピアノ、その色、鮮やかな室内音響にもインスパイアされた」とワニアは述べている。完全即興に徹するため、演奏する際に想定する曲のフォルムやメロディックなスケッチ、ハーモニックなレイヤーなどは一切、事前に考えることがなかったという。

「私にとって最も重要なことは、タッチです。楽器との一体感があり、一つの有機体のようになります。全く自然なものとして、表面上では奏でられない音楽として、鍵盤のタッチから喜びを得ることができるのです」



 『Lonely Shadows』はその正確で繊細なタッチが、光の反射と影のように感情を揺さぶる。個々の曲には、録音後に連想されたタイトルが付けられていった。悲しみと喪失感を想起するアルバム・タイトル曲からスタートし、驚くほど滑らかに音を共鳴させていく。不協和音を置き去るように、静かなタッチでメロディを並べたかと思うと、スペースを素早く軽快に埋めていく。そして、一つの運動体のようにタッチが連なっていくラストの“All What Remains”へと至る。『Lonely Shadows』は、ジャズとクラシック、即興の直観と作曲の規律の間でワニアが紡いだ物語である。

※1
https://londonjazznews.com/2020/09/07/dominik-wania-new-album-lonely-shadows-on-ecm-out-18-sept/


(作品紹介) 
Dominik Wania / Lonely Shadows

発売中
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