Oded Tzur / Isabela

 

文:原 雅明

 『Isabela』は、イスラエル出身のテナー・サックス奏者オデッド・ツールのECMから2枚目となるアルバムだ。前作『Here Be Dragons』にも参加したニタイ・ハーシュコヴィッツ(p)、ペトロス・クランパニス(b)、ジョナサン・ブレイク(d)との録音だが、前作を遥かに凌ぐほどのダイナミックな起伏と拡がりのある演奏が収められている。特にラストの「Love Song for the Rainy Season」の躍動感は、このアルバムがECMからのリリースであることを忘れさせるほどだ。ツールは、イスラエルでジャズとクラシックを学んだ後、バーンスリーのマスター、ハリプラサド・チャウラシアに師事した最初のサックス奏者となった。それは、後に活躍することになるニューヨークのジャズ・シーンに加わる以前のことで、チャウラシアから学んだインドの古典音楽が、現在に至るまでツールの作曲と演奏に深い影響を与えてきた。しかし、『Isabela』以前の作品では、その影響は控えめに表出されていたようだと、『Isabela』を聴いて感じた。



 ツールによれば、インドの古典音楽のレッスンはほとんどコール&レスポンスのようなもので、言葉や解説はなく、先生が弾いたフレーズをそのまま再現しなければならないという。そこにもどかしさを感じていろいろと模索をする中で、管楽器にサックス奏者としての自分もまだ発見していない可能性を見つけて、グローバルな楽器として捉えるようになったという。それから、音色をより体系的に扱い、ピッチの流動性やコントロールの研究をして、半音よりも小さい音程である微分音を際立たせる奏法を生み出した。特に、重厚な微分音音楽であるラーガの概念が採り入れられた。『Isabela』のオープニングを飾る「Invocation」は、このアルバム全体を貫くラーガの構造を2分弱に凝縮したアウトラインのような演奏だ。実際、この演奏のフォルムを変化させることから、アルバムは作られている。
 



「ある音楽家は、ラーガを音で出来た抽象的な人格だと言っている。それはもう音階ではなく、音符の並びを超えた何かということだ。そういう意味では、ブルースはラーガとまったく同じだ。音階はあるけれど、単なる音階ではない。ワンフレーズ聴いただけで“これはブルースだ”と思えるほど、抽象的な個性がある。遠くからでも分かる人のように」

 若くしてジャズに魅了され、何年もの間、デクスター・ゴードンをトランスクライブすることに夢中になっていたツールだが、イスラエル出身という出自も影響して、西アフリカや中東、バルカン半島の音楽にも接し、さらにインドや南米の音楽にも関心を拡げていった。ただ、大切なのは、ツールはいまもジャズを演奏し続けていることだ。だから、その音楽は、ジャズとインド音楽との単純な融合にはならない。異なる音楽文化の形式を取り入れるのではなく、共有される普遍的な構成要素を見出そうとしている。そして、ニューヨークのコンテンポラリーなジャズ・シーンで活動を続けながら、音楽的なボキャブラリーを拡げてきた。



 同郷のハーシュコヴィッツも、ギリシャ出身のクランパニスも、フィラデルフィア出身のブレイクも、ツールの音楽的な探求に欠かせないメンバーだ。『Here Be Dragons』で組まれたカルテットは、『Isabela』でより自由度の高い演奏を展開している。近年はリジョイサーらとアピフェラを結成してStones Throwからデビューするなど、エレクトリックなグルーヴのあるサウンドを演奏することが多かったハーシュコヴィッツは、ここではアコースティック・ピアノに専念し、ツールのカルテットの前任者であるシャイ・マエストロに勝るとも劣らない繊細でスリリングなタッチを聴かせる。ツールのカルテットの初期からのメンバーであり、作曲家としてもクラシックからフォークロアまで柔軟にアプローチしてきたクランパニスは、ツールがベースの動きと合わせて考えているラーガの良き理解者である。実際、『Isabela』にラーガの音程の流動性を持続的にもたらしているのは、クランパニスの弾くベースラインだ。



 ブレイクは、昨年、イマニュエル・ウィルキンスやジョエル・ロスらをフィーチャーしたBlue Noteからのデビュー作『Homeward Bound』をリリースして、現在のシーンにおける特別なドラマーであることを示したが、『Isabela』では彼のドラムがカルテットの音楽をジャズたらしめていると言っても過言ではないだろう。「Love Song for the Rainy Season」は、ブレイクのドラムに触発されるように、カルテット全体がダイナミックな領域に踏み込んでいく。この演奏は、「このアルバムで、ようやくダイナミックレンジの全体像、静寂と爆発、鮮やかな色彩を探求することに心地良さを感じるようになった」というツールの言葉を裏付けるものだ。『Isabela』は、最高のメンバーと作り上げたツールの代表作となるだろう。
 

 



※オデッド・ツールの発言は『Isabela』のプレス・リリースより


(作品紹介)
Oded Tzur / Isabela

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