世の中に数多あるスタンダード・ナンバーから25曲を選りすぐって、その曲の魅力をジャズ評論家の藤本史昭が解説する連載企画(隔週更新)。曲が生まれた背景や、どのように広まっていったかなど、分かりやすくひも解きます。各曲の極めつけの名演もご紹介。これを読めば、お気に入りのスタンダードがきっと見つかるはずです。
【第14回】
オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
On The Sunny Side Of The Street
作曲:ジミー・マクヒュー
作詞:ドロシー・フィールズ
1930年
今でこそアメリカでは女性の地位向上がかなり実現されてきていますが、前世紀の後半まではとても男女平等などと呼べるような状況ではありませんでした。それは音楽業界も同じ。優れた女性作曲家/作詞家はもちろん存在したのですが、男性優位の慣習に阻まれて、その多くは歴史の闇に消えていってしまいました。
そこに風穴を空けたのが、ドロシー・フィールズです。ヴォードヴィリアンの父、ブロードウェイで台本作家を生業とする2人の兄、というショー・ビジネス一家で育ち、自身も詩作をよくしたフィールズは、その才能をまずジョン・フレッド・クーツ(〈サンタが街にやってくる〉、〈ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド〉の作曲者)に見出され、続いてジミー・マクヒューと組んだ〈捧ぐるは愛のみ〉がヒット。そして1930年、やはりマクヒューと組んだレビュー『ルー・レスリーのインターナショナル・レビュー』の中で、ついに決定的な1作をものすることになります。〈オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート〉です。
当時のアメリカは大恐慌の真っ只中。世の中は暗く荒んだ空気に包まれていました。そんな中、「コートをつかんで帽子をかぶり、心配事はとりあえず置いといて、通りの陽の当たる側を歩けば人生は素敵になるさ」というフィールズの詞はどれほど人々の憂さを晴らしてくれたことでしょう。加えてマクヒューの曲の素晴らしさ。明るさの中に一握りの切なさをまぶしたような曲調は、歌詞に込められた小さな希望を絶妙にあらわしています(もっともこの曲、原案はファッツ・ウォーラーが書いたという説もありますが)。
この後フィールズは、マクヒューとのコンビで〈ドント・ブレイム・ミー〉、〈アイム・イン・ザ・ムード・フォー・ラヴ〉を、彼とのコンビ解消後はジェローム・カーンと組んで多くの曲を書き、特に映画『スウィング・タイム』の中の〈今宵の君は〉ではアカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞。死後には、女性としてはじめてソングライターズ・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りを果たし、なんと切手のモデルにも採用されたのでした。
●この名演をチェック!
エラ・フィッツジェラルド
アルバム『エラ&ベイシー』(Verve)収録
ジャズ・ヴォーカルのファースト・レディとキング・オブ・ビッグバンドによる極めつけ。余裕しゃくしゃくのエラの歌と豪快なベイシー・オーケストラの演奏をきけば、昨今のムシャクシャした気分も吹き飛ぼうというものです。
ディジー・ガレスピー、ソニー・スティット、ソニー・ロリンズ
アルバム『ソニー・サイド・アップ』(Verve)収録
超大物ジャズマン3人によるご機嫌なドリーム・セッション。やみくもに丁々発止のバトルとはならず、バランスの取れた演奏になっているところが、逆に懐の深さを感じさせます。後半部分ではガレスピーが、自慢の喉も披露しています。