Stephan Micus / Winter’s End
(文:原 雅明)
ステファン・ミクスは、長年に渡ってECMから数多くのリリースをしてきたマルチ・インストゥルメンタリストだが、レーベルにおける最も特異な音楽家かもしれない。殆どすべてのアルバムで、作曲と演奏を自分一人だけで行ってきた。その作曲は、譜面を書くことを意味しない。世界各地を旅して、様々なローカルの楽器を習得し、自分のサウンドを探し出すことが作曲にあたる。それ故に、マンフレート・アイヒャーがプロデュースで関わったのは最初期の録音のみで、3日間のスタジオ録音とミックスでアルバムを仕上げるECMの一貫したスタイルから外れることを、例外的に許された存在でもある。マヨルカ島の人里離れた隠れ家に住み、その自宅スタジオでの、たった一人のレコーディング・セッションをマルチトラックに記録し、オーヴァー・ダビングで制作する。他者と演奏することはなく、コンサートもあまりおこなわず、ただ楽器と向き合うのが、ミクスのやり方だ。しかし、それは特別にシリアスなことではなく、むしろ子供じみた行いなのだとミクス自身は捉えている。この最新作『Winter’s End』では、明治から昭和初期に活動した日本の俳人、村上鬼城の句「道あるに雪の中行く童かな」が引用されている。わざわざ雪道を好んで歩く子供と、多くの楽器を嬉々としてスタジオに並べ、時間を掛ける作業を厭わない自分の姿を重ねているのだ。
世界中を旅して集めてきた、尋常ではない数の楽器を演奏するミクスは、マルチ・インストゥルメンタリストという言葉だけでは、実のところ形容しきれない。ECMのサイトには、スタジオにある楽器が多数紹介されている(※1)。日本の尺八、笙、能管、北インドの擦弦楽器ディルルバ、バイエルン地方でよく使われてきた弦鳴楽器チター(ツィター)、古代エジプトの葦笛ナイ(ネイ)、 ウイグル族の弦楽器サタール、西アフリカの弦楽器ボロンバット、シンディング、ドゥスン・グニ(これはドン・チェリーも愛用した)、アフガニスタンの弦楽器ラバーブ、バリ島の木琴グンデル、中国の編磬ストーンチャイム、アイルランドの打楽器(フレームドラム)バウロン、シベリアのウデゲ人の管楽器キ・ウン・キ、エチオピアの竪琴バガナ、アルメニアの管楽器ドゥドゥック、ラオスのモン族の竹製の管楽器ラージ・ナプラム、モロッコの低音弦楽器ゲンブリなど、50以上の楽器が記載されている。中には、ミクス自身がカスタマイズした10弦と14弦のギターや、68本の弦を複数の和音で調律することができるコード・チターというオリジナルの楽器もある。サイトの紹介はこれでもごく一部で、集めた楽器は何百種類にも上る。
バイエルン地方出身の生粋のドイツ人であるミクスが、なぜ、ヨーロッパのメインストリームの音楽からは離れて、現在のような活動に至ったのか、少し振り返ってみたい。
「私は自分自身で音楽にのめり込んでいったのです。12歳の誕生日に、欲しかったギターをもらったのがきっかけで、ギターを習い始めました。その後、ジェスロ・タルを聴いて、コンサート・フルートに興味を持ちました。その頃は、学校でもロック・グループで演奏していました。しかし、すぐにそこから離れて、英語のテキストとアコースティック・ギターで音楽を作り始め、実際、学生時代に最初のアルバムを作ったのです。1970年から71年にかけて学校を卒業する時期に、初めてインドの古典音楽のアルバムを聴きましたが、これは信じられないような瞬間で、私のキャリアや人生全体にとても強い影響を与えたのです。学校を卒業すると、1972年に陸路でインドに行き、インド音楽とシタールを学びました。それ以来、今日まで続いているパターンがあります。レコードやコンサートを聴いて、本当に心惹かれる楽器があれば、その国に行って勉強するというものです」(※2)
ミクスは年に3ヶ月ほどは旅に出て、楽器を集め、演奏を学ぶという生活を続けてきた。旅先では、伝統的な演奏方法をまず習得する。それから、さらに自分なりの使い方を見つけるプロセスがある。京都を訪れて、尺八や笙、能管を学んだこともある。特に竹製の能管が生む独特の音階に惹かれ、カスタマイズして使用している。そして、自分のサウンドを見つけ出すと、いくつかの楽器の最小限の組み合わせから、曲を作る。例えば、2013年にリリースされた『Panagia』では、パキスタン北部チトラル地方のチトラリ・シタール、北インドのディルルバ、新疆ウイグル自治区のサタールの3つの撥弦楽器を、一つの楽曲(“You Are the Life-Giving Rain”)の中で演奏している。それらは交互にメロディを奏でて、伴奏やソロも生み出す。そして、曲は途中からクラシック音楽の弦楽器のような響きに変わっていく。それは、その楽器が作られた特定の土地と属性から離れた使い方であり、本来あり得ない組合せを実現する。
「基本的に私の仕事のやり方は、何とかなりそうな可能性をすべて試してみることです。だから、例えばドゥドゥックがあって、次はバイオリンかな、というような合理的なプロセスはあまり信用していません。自分が想像していなかったようなものの組み合せを試してみることで、まったく予想外の場所や新たな可能性が見えてくることが何度もありましたから。自分の手で何かをするのが好きで、楽器の音を聞かないと気が済まないのです。自分で演奏できない楽器のために作曲することはできません」(※2)
若くして、単身インドを旅してインド音楽を学び、その後も一人で活動を続けてきたミクスだが、そのバックグラウンドには、短い期間だったが接触のあった音楽コミュニティが存在した。1972年にインドを訪れた後に、半年ほど滞在したニューヨークで出会った、WBAIというラジオ局に集ったミュージシャンたちだ。後にECMからリリースすることになるラルフ・タウナーやグレン・ムーア、コリン・ウォルコットらオレゴンのメンバーがそこにいた。WBAIは、1960年にスタートした非営利のラジオ局で、70年代は特にリベラルな空気に満ちて、前衛的な音楽、演劇、パフォーマンス・アートなどを紹介するプラットフォームになっていた。ミクスの録音を聴いて気に入ったWBAIの番組ディレクター(後にスティーヴ・ライヒらのレコーディング・エンジニア、プロデューサーとして有名になるジュディス・シャーマン)からECMを紹介され、アイヒャーとの出会いが実現した。
アイヒャーのプロデュースでJAPOより1977年にリリース(のちにECMからリイシュー)された『Implosions』から数えて、ECMでの通算24枚目となる『Winter’s End』は、2018年から2020年にかけて、ミクスのMCMスタジオで録音された。その制作スタイルはこれまでと変わることはない。ただ、今回は、ミクスのアルバムで最も多い10ヵ国の11種類の楽器を使って録音されている。中でも最も多く使われて、アルバムのサウンドの基調を成しているのが、モザンビークの低音用木琴チクロだ。これはミクスが初めて使った楽器で、CDジャケットのブックレットにはこれを弾くミクスの写真が掲載されている。4つの木の鍵盤(つまり4音しか出せない)の下に共鳴用の大きな瓢箪がぶら下げられている。モザンビークのチョピ族がさまざまな木琴を使って演奏するティンビラ楽団をミクスは現地で観て、特に低域の出るチクロに魅力を感じた。そして、ティンビラ楽団を率いる演奏家で楽器製作者でもあるエドゥアルド・デュラオに、チクロの製作を依頼した。ブーンと響く低音と木を叩く乾いた音色がチクロの特徴で、オープニングの“Autumn Hymn”とエンディングの“Winter Hymn”やチクロのみで演奏された“Oh Chikulo”に聴くことができるが、ミクスはよりクリアな低音を出すために瓢箪に付けられた膜を外して、他の楽曲では演奏している。
もう一つ、ミクスが初めて録音に使ったのが、中央アフリカで使われる舌鼓(タングドラム)だ。スティールのタングドラムと似た構造で、中空の木箱の上面に異なる音を出す切り込みが入れられている。これは40年前にミクスが自作して、何度かコンサートで自身のヴォーカルと共に演奏したが満足できず、保管されていたという。それが、今回チクロと組み合わせることによって甦った。その演奏は、“The Longing Of The Migrant Birds”や“Sun Dance”で聴くことができる。また、ミクスにとっては、幾重にも重ねる自身のヴォーカルも楽器の一つとなっていて、それでコーラスを作り出している。
『Winter’s End』では、2曲(“Walking In Snow”と“Walking In Sand”)で12弦のアコースティック・ギターも演奏されている。その演奏は、アメリカのポピュラー音楽に親しんできた耳に優しく響くはずだ。ワールドミュージック、ニューエイジ、フォーク、フュージョン等のカテゴライズに容易に収まらないミクスの音楽だが、10カ国の11種類の楽器の一つとして使われているアメリカのギターは、ミクスのルーツにあった音楽を素直に表出しているように響く。同じくギターの演奏がフィーチャーされた、前作『White Night』にも感じたことだ。ミクスの音楽の旅は、アメリカ(音楽)の再発見に向かう可能性があるのかもしれない。ミクスはどんな楽器を学んでも、特定のエスニシティーからは逃れるように音楽を作り続けてきたが、それは決して無国籍の音楽を出現させるためではなく、異質なものから調和を探る証しなのだと改めて知らしめる。
※1: https://www.ecmrecords.com/artists/1435046126/stephan-micus
※2: https://www.allaboutjazz.com/stephan-micus-solitary-pursuits-stephan-micus-by-john-kelman.php
(作品紹介)
Stephan Micus / Winter’s End
https://store.universal-music.co.jp/product/3592771/